盆に見た映画の感想。ネタバレ容赦なし(見ていないと意味が分からないと思う)。3つ見たうちの2つに関するメモ。身から出た錆で意気消沈していたので、映画でも見れば気分が変わるかもと期待して。
『セッション』90点
前から見たいなとは思っていた。その理由の一つはジャズをテーマに扱った映画であることだったが、結論から言えば、特にジャズ映画としてはノれなかった。でも、見る価値のある映画だった。あと、注意点として、セッションという邦題はマーケティング上の理由だろうが全く内容を反映していない。
私はこの映画のメインテーマを「求道」だと捉えた。禁欲、自己との闘い、ライバルとの競争や、師弟のありかたも基本的にはその一部に過ぎない。「求道」に関してそういうモチーフはありふれている。平成19年度入学式(大学院)総長式辞 | 東京大学 での「孤独を恐れぬ勇気」からのくだりや、『たたかう音楽』の著者高橋悠治に関するドキュメンタリー なんかも私は連想した。
次世代を育てるための過剰なまでの厳しさを語るシーンは、その後の裏切り行為によって建前として否定されたとみるべきではない。あれも確かにフレッチャーの本音だ。求道において being upset (これを「悔しい」と訳したのは非常に的確だ)は重要な推進力だ。誰にでもそれが効くわけでもなければ、度を越せば鬱や自殺だって引き起こす。Sean Casey を殺してしまったことは大きな損失であるし、フレッチャーはそれにショックを受けている。交通事故という嘘もその罪悪感の裏返しだろう。しかし、
But I tried. I actually fucking tried.
とそういう教育法を実践したことを誇るフレッチャーを殴りつけることができる言葉は、直前の本人の言葉
I never really had a Charlie Parker.
「結果が全て」だということだけだ。そしてその結果は最後に訪れる。拳で殴り掛かったり、倫理的に糾弾することは、求道の埒外だ。アンドリューは最後の喧嘩に音楽で答える。だから結果的にはフレッチャー的なるものが一貫して流れている。Sean Casey に対するフレッチャーの涙のエピソードや女の子への激励はその流れと共存する。
ホモソ云々は、そうラベリングすることがどう役立つのか意味があるのか見当がつかないので詳細な言及を放棄する。
映画の中と同様、現世ではフレッチャーは指導者としては放逐されるだろう。日本なら、芸術家としてさえも放逐されかねない。だからこそ、心の中にフレッチャーを。
余談1
途中の
アンドリュー: Because I wanna be great.
ニコル: And you're not?
アンドリュー: I wanna be one of the greats.
のやり取りで出てくる「偉大」概念や、序盤でフレッチャーに言わされる
I'm here for a reason.
自らの意志で音楽をやっているのだという宣言は、その中身のなさ(「偉大」とはなにかが分からない、理由は何かがわからない)が印象的だ。求道における信念というのは最後に言葉では説明できないものがあるほうが強かったりするものだ。
余談2
Charlie Parker のシンバルエピソードは不正確らしい。参考: Getting Jazz Right in the Movies - The New Yorker
あまり史実をこういう不正確な使い方するのは好きではないし、フレッチャーが自分に都合よく覚えているとしても、それをどっかに注記しておくのが良いかと思う。もとから映画なんかすべてフィクションだとエンドロールにも書いてあるし、そこを気にするのは好みの問題でしかないが。
参考
BUDDY RICH IMPOSSIBLE DRUM SOLO HQ
最後のシーンの元ネタらしい
- Whiplash (2014) Movie Script | SS スクリプト
- なぜ「セッション」のラスト9分19秒は素晴らしいのか? ~血とビートの殴り合い、恫喝の向こうの涙 - YU@Kの不定期村 シンバルのエピソードの件を指摘してた日本語ブログ
『エターナル・サンシャイン』70点
ナンパをする映画ということで推薦された。ビフォア・サンセットを例に挙げたので、「電車の中で」という部分も含めて一致している(そんな推薦ができることに驚きw)が、あの強引で我儘な感じは女性が口説く側だから許されるのであって、見ててヒヤヒヤするものだった。
クレメンタインがメンヘラキャラで、記憶の消去というネタも、メンヘラの記憶喪失から発想したのかなと思った。そういう意味では途中SFな設定が出てくるものの、非常にリアリティのある映画だった。でも、最後はただ刹那的な恋の肯定に聞こえてしまい、ただ寂しく感じた。
映画のつくりとしては、素晴らしかった。見てる側が記憶消去後の場面から見るため主人公と同じ当惑を感じるとか、過去の思い出が消去のために挿入される構図とか、無駄がなく完璧だった。
僕は映画に薬としての効能を求めるので、見た後に落ち込んじゃうこの映画はおそらく再訪しないと思う。