アカデミアを検証する番組の出演者がまったくアカデミックでない。https://t.co/PLQQz2ssrr pic.twitter.com/fKhtrxGQlz
— 渡邉究/第二のコロチキ西野氏を目指す数学科准教授/YouTube (@Kiwamu_Watanabe) August 5, 2024
ひやっしーが出演しているので、「また、科学者扱いされているのか」と憤っている人が多いようだが、「そこまで言って委員会NP」に出ているということは学者としては不適かキワモノであると扱われているということなので、むしろ「そういうお墨付きを得ちゃったのね」と扱えばいいのである。そういうリテラシーが無い人たちが恰も科学のリテラシーがあるかのように振る舞っていること自体怪しいなと思ってしまう。
そもそもに、だ。「アカデミアを検証する番組の出演者がまったくアカデミックでない」ことは別に問題では無い。ひやっしーについては学界を知っている風に振る舞っていて、ぜんぜん的外れだったりで、共感性羞恥が発動しまくっていたが、竹中平蔵は学者として振る舞ってはいなかったし、山口真由もどちらかというとアナウンサーのような振る舞いでゲスト学者に質問を振っていた(一応全部見たのです、TVer で、1.75倍速で。みんなは見なくていいよ)。学問というのは、化学博士だからといって社会学のことについて専門性を持てないように、ある分野の専門性というのは一定以上汎化できないわけなので、「アカデミアを検証する」ことをアカデミックにできるとしたら、Science of Science、科学社会学、科学政策などの専門家が必要なわけであって、単に学者が必要なのではない。化学博士ができるのは単に当事者としてのローカル知を以て何か言えるというくらいである。そして、この番組の構成は、学界の爪弾き者やイロモノ、学問になんらか関わっているが嫌われている者、などが極論を「そこまで言うか」と言われそうな毒を伴って言うことに「意味がある」ので、アカデミアからまともに認められた人たちによる構成、先ほどあげた科学社会学や科学政策の専門家による構成はそもそも目指していないのである。
そういう意味では意外とまともに構成していると思ったのだ。竹中平蔵はネオリベ一つ覚えだし、ひやっしーは居なくてよかったし、途中に挟まれる京大生インタビューは「君たち、こういうのに簡単に顔ださんほうがいいよ」と思ったけれども、まあ、意外と議論として噛み合っていたのだ(才媛枠でヨシヨシされてた初出演の上田さんが「視聴者側で見ていたいつもより暖かい雰囲気だった」的なことをおっしゃってたので、珍しい回だったのかもしれない)。コロナの総括、原子力発電の是非、地震予知、について、宮沢孝幸、多田将、ロバートゲラーをゲストにしていて(後ろ二人はよく知らないが宮沢さんと並べられていいんかとか?とは心配になったけど)まあよくある論点をバラエティ的に話していて、極論を出すことで議論が盛り上がるという構成自体は悪くなかった。極論にそのまま呑まれるような視聴者だと見てはいけないけれども。多田さんの、学者ももっと社会への説明責任を果たすべきって話とかはめっちゃ真っ当だったし(僕はこの点については、少々極端?な立場で、国民の1%が分かるように説明すればいい、下位50%についてはメタ専門知( ハリー コリンズ (著), 鈴木 俊洋 (翻訳) 「我々みんなが科学の専門家なのか」での用語)的な判断に資する説明としても無視するべきと思っている=多数決的な意思決定と訣別すべしと思っているので多田さんとは意見は相違するが)、一度は東大に入れるくらいの知性?だったりする方々が、科学に関すること政治的な意思決定について科学政策の素人として話すと言うことを下位50%に見せる番組としては全然悪くないんじゃないかな。別に結論を出したりする方向性にはもっていっていなかったし。
「極論を出すことで議論が盛り上がるという構成自体は悪くなかった」とは言ったものの、この点について、パブリックな討論のあり方自体について課題を感じた。やしきたかじんが良かったとは思わないが、田原さんも、もともとはもう少しマシだったし、ある程度、日本におけるパブリックな討論の伝統として、「歯に衣着せぬ物言いをする知識人」に物を言わせるということ自体は行われてきた。「そこまで言って委員会NP」の雛壇が知識人かといわれたらふざけんなと思うし、この番組は安倍を呼んでヨイショしていたくらいなので、政治権力に「歯に衣着せぬ」のではなく、リベラル的規範に「歯に衣着せぬ」のを是としている。そこまで言って委員会NP - Wikipedia の Wikipedia 記事にバラエティだから政治発言が許されているとあるが、単に政権に親和的だから許されてるだけでしょう。そこは見る側も「だっせー」くらいの感覚は持っておいてほしい。そして、番組冒頭単なる東大理三を持ち上げていることからわかるように「知識人」の想定レベルが低すぎる。じゃあ、ネットメディアで真の知識人が全方面に歯に衣着せずに討論する番組が可能かというと、なかなか難しい。ReHacQ はちょっとそういう志向と良さを感じる(がひろゆきは切れ味的にもダメじゃないか…?)。ゲンロンは東京都知事選の後の開票雑談みてて、暇空を評価してる宇佐美典也を呼んでまともに相手しちゃってオジさん3人並べて話しているあたりからホモソ臭が耐えられなかった(こういう形でオジさん属性が否定されることに対して東さんは異議申し立てをしていて、まあわかる。今でも「弱者男性」でさえ救うべきだし無駄に攻撃する必要はないとは僕も思っているし(cf .
)、自分の"弱者性"を盾に攻撃しているツイフェミはガシガシブロックしているけれど、ま、相手することや表に出すことが必要じゃないわな、「治療」が必要なのであって。暇空やその支持者は完全そういう対象でしょう)。Twitterやってるとmisogyny拗らせた「弱者男性」がよく目に入る。恋人無の期間とか客観的には自身がソレに近づいてる側面もあるが、精神的にはどんどんソレを見るのさえキツく距離を感じてて、昔はソレさえ包摂して救うべきって言ってたし今もそうは思ってるけど、自身がもし堕ちたら○してくれと思う
— KAMEDA, N. Akihiro (@cm3) April 3, 2023
オープンさをこの国で実現するのに「歯に衣着せぬ」の必要性はわかるけど、もう少し違う形で、「オープンでパブリックな討論のあり方」を発明していきたいと思う。前職・現職で少しそういうことに取り組む機会は得てきているし、最近、LLMの発展を活かす形で、人工知能学会の友人も2ちゃん研究で盛り上がった頃の心を思い出して、そういうテーマに取り組んでいるのを見たので、俺もやるぞーってね。