Drafts

@cm3 の草稿置場 / 少々Wikiっぽく使っているので中身は適宜追記修正されます。

組織論学びたい、というメモ

そのうち Coursera か何かで学んでみようと思っている。学部前期の教養で1コマ取っていて、意思決定モデルなどは楽しかった覚えがある→ゴミ箱モデル(ゴミばこモデル)とは? 意味や使い方 - コトバンク。レポートでは課題の論題そのものの枠組みに対する稚拙な反論から始めてしまったような記憶が朧げながらあり、先生には申し訳ないことをしたなぁと薄らと思っている。

さて、その程度の知識しかないのに、組織論についての興味が増し、ここにメモらねばと思っているのは、新しい職場における色々な危機感からである。別に今の職場が嫌いなわけではない。でも、国家公務員でもないのに国家公務員を対象とした法に基づいて仕事をしようとしたり、口にされる「ガバナンス」が単にトップダウンな支配系統しか意味してなかったり、組織論が未熟なまま組織化の力が肥大した組織で、それは、所属各機関やそこの研究者を対象とした情報システムを設計する僕にとって非常に怖いことなのだ。システムというものは、不可避に個と対立する。情報システムはその暗黙さや設計の自由さ、知能的処理と結びついた能力などの特性のおかげでそれを非常に強力に発揮しうる。しかし、今挙げたような"情報"システムの特性は、必ずしも、「不可避に個と対立するシステム」の「対立」と直接結びついた要素ではない。たとえばデータを標準化することによって、相互利用や長期保存が見込めるが、ゆるい標準化とそこからの抽出が知能的処理で可能な状態ならば、個々の研究者のデータの自由度は上がるので、むしろ「対立」を弱めるようにその特性は機能する。ちなみに、システムが個と対立するのが不可避だと思っているのは、システムは人間以外も含めて複数のアクターと機能の有機的な結びつき(=全体)と、それ自体が機能的に自律して持つ大局的な方向づけ(=全体のバイアス)を不可避に持つから、という一般システム理論から派生したような認識だ。

そんな環境で、機構の指示を所属する機関が聞かずに文句をいって意思決定が遅れることをガバナンスの不在として糾弾するような認識があればどうなるか。それでなくとも、会計監査の説明責任を自ら持つことを一定さけるために国に準じて仕事し、文科省から飛んできた的外れな調査に唯々諾々と対応する官僚的な組織において、ミッションが意識されず(ミッションは 人間文化研究機構とは | 大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 に書かれているとおりだが、大枠として 「大学共同利用機関法人・大学共同利用機関の在り方」主な論点及び関連する主な意見(案):文部科学省 が他の組織と相関的に見たミッションを把握するのに重要だと思っている)細かい手続きに手続き自体を目的化した形でこだわることで(「凡俗」も含め)パーキンソンの法則で指摘されるような無駄を抱え、「保守的」になることでミッションに反する状況にある。幸い、機構長も理事も研究者であるので、その問題がどうしようもないレベルではないが、逆に言うと、この問題を解決するために必要な組織論的な知見は実務的にも知識的にも乏しい。ちなみに「ガバナンス」という言葉に噛み付いているのは、コーポレート・ガバナンスは「会社が、株主をはじめ顧客・従業員・地域社会等の立場を踏まえた上で、透明・公正かつ迅速・果断な意思決定を行うための仕組み」を指すので、トップダウンに言うことを聞かせる組織はこれがむしろ「できていない」ことが多い。わざわざカタカナ語を用いていることからもわかるようにアメリカからの輸入概念だが、なぜアメリカでコーポレートガバナンスが叫ばれるようになったのか彼らは答えられるのだろうか。インテグリティについても同様で、カタカナ語にすること自体に問題なくとも、原義を損なって今の日本の雑な権力を強化するためにカタカナが用いられているの、カタカナが可哀想だ。

既存の現場のやり方や概念は、積極的に学んで「使えば」いい。どの組織は総務課が、どの組織は人事課がこの情報を扱うので、そこに根回しを、みたいなのもかなり身についてきた。別にそういうのは、研究者としては無駄な能力だろうが、僕は教育職を避けることによって省けている無駄は色々あるので、その分、このくらい仕事のために身につければいいと思っている。「ライン」という言葉もこの職場にきて始めて頻繁に聞くようになったジャーゴンで、レポートラインラインマネージャといった用語でいうラインで、「明日山陽子 (2023): 国際比較から見える日本のジョブの特徴」(https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2023/06/pdf/058-067.pdf) で指摘されている「日本企業が内向きの調整ばかりを重視し,過剰ともいえる和を求める傾向(沼上ほか 2007)が更に,人間関係や仕事の社会的意義を押し下げる要因となっている可能性もある」と指摘されている問題を強化するようにも脱するようにも使いうるもので、脱するようにつかえばいい(部署全員の総意を取ろうと、会議を増やさなくて良い)。

出所不明のネタ画像にあるように、ツリー状の組織だけが組織ではない。別に組織を変えることが目的ではないが、mission oriented な仕事ができるようにしたい。そのために組織論を学びたい。