Drafts

@cm3 の草稿置場 / 少々Wikiっぽく使っているので中身は適宜追記修正されます。

この発言の直接のきっかけは、仕事をしながらミーティングに参加していて、先日のイベントの感想を振られて、本当に拙くしか話せなかったこと、それが自分であまりに意外なほどに拙かったことだった。他にも面接やインタビュー(英語にすると同じだが)でうまく話せなかったり最近立て続けにいくつか、知性の衰えを感じたためにこういう発言をしたのだが、そういう茫漠とした問題把握そのものが、知性の衰えの一つの現象であって、精緻に記述することなしには対策できないと思ったので、たぶんうまく書けないとは思うのだけれど、ここに手がかりを書いておこうと思う。

最近ブログを更新していないことの理由と効用 - Drafts、を書いた2016年ごろから、このブログにも「意見」を書くことはかなり控えてきたし、まあ、それで良かったのではないかとも思っている。いくらブログを書いたところで、フィードバック無しに表現は上手くはならないし、このご時世、それなりに文章が上手くないとフィードバックすらもらえない。一方で、シェアハウスに住んでいて人と話す機会は多かったので、それである程度維持されてきた、人に対する言葉の表現力というものがあったのではないかと思う。

プライベートな変化で、シェアハウスを出て1ヶ月になる。これと衰えの自覚は無関係ではないと思う。週に一回、オンラインで友人と話しているし、もちろん仕事で話す機会はある程度あるのだが、それでは何かが足りていない。引っ越した先はご老人がたが多い環境で、公園でも自転車置き場でも老人と話すが、それは全く表現の練習にはならない。

本を読んでいても目が滑る、動画を見ていても2倍速でないと頭に入ってこない(標準だとそもそも遅いと感じるし、他の考え事をしてしまって集中できない)。入力の方もあまり上手くいかない。

例外的なのは、率いている翻訳のミーティングで、丁寧に読めるし、細かいところの議論を(もちろんみなさんのおかげもあって)整理して話せていると思うし、入力も出力も悪くない。

たまに、学生指導のミーティングなどで、感謝されることもある。我ながらよくそんなにポンポンとアイデアやアドバイスが出てくるなと思うこともないわけではない。

総じて見ると、そんなにいきなりダメになったわけではないのだけれど、不安を感じる現象が生じているという段階で、原因はぼやっとしか捉えられていないという状況だ。そして、ああ、次の作業に移らなければならない。この「忙しさ」は何よりも知性を奪っている。この件はちゃんと加筆して、整理していきたい。