いま、村を作るとして、世の中からランダムに100人集めるのと、LLMを内蔵したロボット100台と暮らすのとどちらがいいか?1年前なら確実に「そりゃ人間に決まってるじゃん」と言っていたと思う。そもそもロボット100体と暮らしても孤独だ。でも、この1年、人間社会への失望を深めた結果、「どっちも嫌だな。人間40人とロボット60台という選択肢は無いかい?」と聞きたくなってきている。もちろんLLMの進化も一因。相対的に、世の中の平均より、社会構成員として望ましいものが作れるようになるだろうと思えるようになった、のだ。これまで多くのフィクションがロボットが人間社会の一員になることを描いてきた。そこにはロボットの邪悪さを取り除けるかやロボットに心はあるかといった問題を取り扱ってきたが…「邪悪で心が無い」人間に溢れている社会の中で、その問いは相対的に意味を為さなくなってきた。もちろん、僕は、人工知能を使って人間を適切に再教育することの方が、人間を排除するよりは望ましいと思っているけれども、もう、少なくとも、身分階層化された社会、次善的な平等に扱われた生身の人間の社会、どちらも終わりにしようって思ってる。諸事情でアメリカのTwitterアカウントを観察しつづけたこともそういう失望の一因になってるんだから、日本ならマシではあるのかもしれない。人工知能学会に行った後とは思えない(?)人工知能の雑な礼賛に聞こえるかもしれない。でも、まあ、メタに共同認識された社会問題を解くために適切に社会の舵取りに人工知能が組み込まれることは必須で、日本はそれが受け入れられやすい素地があると思う。たとえば、フランスなんかよりずっとずっと。2024年5月末日、とりあえずそういう方向に向けてさまざまを考えることにした。このメモの題名をAIに考えてもらったら「ディストピアへの旅」だってさ、上手だね。