Drafts

@cm3 の草稿置場 / 少々Wikiっぽく使っているので中身は適宜追記修正されます。

あずまんと福島みずほの件

ツイッター(跡地)でこういうこと言及するのが嫌なのでこっちに書いておくけど、

という話とそれに同意するツイートがちょいちょい流れてきて、真相が気になってしまったので少し見た。結論を先取りしておくと、デマというほど単純な話では無いし、でも、あずまんの福島発言解釈はよろしくないので「現在の立場から」訂正したほうがよいとは思う。

live.nicovideo.jp

ここからの高々5分ちょっと見ればわかる。福島さんは今から見るとかなり抑制的なものいいをしていて、一方で統一教会自民党との関係についてはちゃんと切り込むべきと主張し、自身もまだ不確定な中で言及することによって切り込んでいる。

東浩紀が統一教会を擁護しているというデマにつきまして|東浩紀

統一教会を擁護しているというのはデマだというのは同意するしそういうデマもツイッター上にあるのはあるだろうが、「「彼は統一教会と結びついていたのだから襲撃されるのもやむをえなかった」と解釈できるような発言」であったとは言い難いというのが私の個人的な感想であり、一方であずまんがそう捉えたのがこのニコニコの場のコメント欄の雰囲気、当時の雰囲気もあってのことである、つまりあずまん側も本気でその解釈をしていてもおかしくないと感じた。

結果的にその後の調査とかから統一教会自民党とズブズブであったことは問題とされたわけで、4つのレベルのうち3つまでは言えてしまう状況にあると思う。つまり、

  • レベル1: 犯人の動機として統一教会自民党との関係があった
  • レベル2: その動機は事実に基づくものである
  • レベル3: その動機からして襲撃は有効な手段である
  • レベル4: 襲撃されるのもやむをえなかった

レベル1で止まるものとしては京アニの件など、犯人が事実認識を正しくできない状況にある場合が相当する。もし、襲撃自体が許されないことであるから犯人に正当性を与えないために、自民党への追及も一切無しにしましょうという合意が与野党やメディアも含めてなされたという結果になっていたらレベル2で止まっていたが、実際は多く報じられ、多くの影響があったので、レベル3までも言えるだろう。そして、レベル3とレベル4の間に多くの人は線を引いていて、福島さんもすくなくともレベル4よりは手前に線を引いたように発言されている。

今「すくなくともレベル4よりは手前に」と言ったように不確定な状況下ではレベル3についての判断はできなかっただろうし、個々ではなく大衆という集合的に考えた場合に、レベル3まで認めたら、そこからレベル4を「演繹」する人たちもいるので、このレベル階層は階段というより坂になっている。世の中の空気次第では、レベル3を認めたらそれがレベル4を認めることにつながるという関係はあるということだ。その影響関係をもって「解釈できるような発言」と、たぶん、あずまんは本気で思っているのだろう。実際解釈が100%不可能かと言われれば可能なわけなので、「解釈できるような発言」ではある。でも、それはあの場であずまんがそういう言い方をしたことが、福島さんの発言の解釈をそのように、つまりレベル4まで引き上げる方向に効果を発揮してしまっているのも誹られて然るべきだと思うし、メタな言及ができる状況下で「その解釈を許さない」と言えばいいわけなのだ。

彼は賢いのだからこんなことは分かっていて言っていると好意的に解釈すると、「そうやって言ったところで、そう解釈して統一教会やその関連の人間に危害を加えようとする人間は発生するのだから、紐付け自体も許さない」というのがあずまんの立場だということになってしまうと思うが、その立場にはここで個人的に明白に反対しておきたい。まず、世の中にはレベル3や4の問題で紐付けすら控えた方がよい問題は存在する。バックラッシュがあまりに激しい問題などはそうだし、マイノリティに本当に力が無い問題などはそちら寄りになる。日本が犯罪多発の不安定な社会だったらそれもその判断に影響するだろう。「大衆はさておき、私は正しいことを言う」というのは力を持った発言者には許されない。大衆はそこにいる。あなた(この文脈では福島さん)はマスコミュニケーションをしている。そこまでは、おそらくリベラルな人間の中ではかなり僕はあずまん寄りに物事を考えている方だと思う。

でも、現状、2世の苦しみなども話題に上り、統一教会関係者を単なる加害者として叩く方向にはいっていない以上、ことこの問題に関しては紐付けはある程度うまく機能したと言えるだろうし、そこで発生した無辜の被害があるならばそれを個別に指摘するのが倫理的なネット民がやるべきことであり、個別の指摘をまとめあげて端的なモデルを提示して見せるのが賢い人間のやるべきことである。大衆不信からあの紐付け自体を否定してしまったら、ここに辿り着いていない。そして、どれだけ、結果的に良い変化が、あの銃撃のあとに起ころうとも、銃撃自体は許されないことである。良い変化は、事件を良い変化に結びつけた人々の努力の結果であるし、その一つに、あの不確定な状況下で抑制的に、でも適切に追及を行った人々はいるわけで、私は福島さんの発言はそこに属すると思う。また、私たちは銃撃を介さずにその変化を起こせたように努力をすべきだし、それを可能にする社会を築かねばならない。