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Drafts

@cm3 の草稿置場 / 少々Wikiっぽく使っているので中身は適宜追記修正されます。

「質の低い批判意見」摂取の有害性 - Drafts という記事を 226日前に書いたにも関わらず、フォロー外の

こやつの発言群にイラッとしてヲチしてしまった。


ごめんね、こんな汚いものをさらに衆目に晒す真似をして。いまから丁寧に回収するので、まずは深呼吸。


それぞれの分野で優秀でありたいというのは、その優秀概念に欠けているものがあるのではないか疑義を投げかけることはあったとしても、多くの研究者が願うことだ。そこそこの優秀さで満足して、研究以外の人生の側面にもっと力を割きたいと思うこともあるだろうが、それはその分野での活動という自分の一側面(参考:分人と他の側面とのバランスの問題であって、やはり、研究という側面で言えば、優秀でいることに越したことはないのだ。

「良い研究かどうか」が集団である程度判断できないことには研究社会は成り立たない。それに伴って、研究活動を行うのは今のところ人であるので、良い研究を生み出すと期待される属人的な優秀さの判断もまたある程度共有される。

まあ、そもそも評価する主体はころころ入れ替わる(ある人が査読者側に回ったり、ある時には提出者側に回ったり)というレベルのこと自体を元の発言者は知らないようなので、全体的に全部幻想的批判なんだけど、このある程度共有されている優秀さがなんなのかということはみんな気になるし、もっと明示的に語られるべきだ。


よく言われるのは論文が書けるか書けないかである。その「優秀概念に欠けているものがあるのではないか」ということもよく言われる。で、最近ちょこちょこ、優秀な研究者は何が優秀なんでしょうって飲み会の場で聞いてみることがよくある。たとえば、面白かったのがG氏の3分類とか。

  • 着眼点のセンス
  • 回転の速さ
  • コツコツ力

論文が書けるかどうかはこの複合によるが、見まわしてみると、これらはバランスされていることより結構偏ってるんじゃないの、と思われるというのがその飲み会の時の話だった。めっちゃ回転早くて研究会とかで議論すると驚かされるが、意外と論文多くない人ってのはコツコツ力が足りてなかったり、そういう話ね。もちろん、「優秀な」研究者はこれらの総合値が高いんだけど。

何が言いたいかっていうとさ、区別することを避けましょうって宗教の人たちはあらゆる人間の理性的活動を否定しなければならない。そういうわけにもいかないので、メリトクラシーに不備があるってことで、ハイパー・メリトクラシーに移行してますって描写はずーっと前からされている。で、その議論の流れでちゃんと「ハイパー」な部分も丁寧に精緻に語られるべきだってことまでずっと言われてきたし、それは例えばジェンダーの側面でも「男 vs 女」みたいなものが評価の要素として入る余地をなくすためにも重要なことなんです。

それを全無視しておいて提示された話の質の低さと、その質の低さに相反する上から目線にイラッとするわけです。


研究会とかで排他的な人間ってのはその会の中でも優秀ではない人ですから安心して飛び込みましょうってのは、おそらく、評価をいちいち気にしなければならない立場の人間がコミュニケーションにおいてもトゲトゲしい排他性を発揮するのを見たり、大御所と呼ばれるような先生方が持論を長々と繰り出す学会外の参加者に対してすごく寛容で良い切り替えしをしていたり、そういう観察があるからでしょう。僕もある。

後者の方は実は発言の中から議論に有益な点を拾い上げる着眼点のセンスや、コミュニケーションに欠かせない回転の速さがキーになっている可能性がある。それから、そもそも学問を社会に開いていきましょうって中で、「排他性の低さ」は指標として意識していいのかもしれない。


ここまでの話を reflexive に反映すると、僕が優秀ならば、元のツイート主に懇切丁寧に社会学のレクチャーを行わなければならないという結論が出る。そして僕は社会学者としては非優秀である(そもそも社会学者ではない)。そのため非寛容に攻撃的なツイートを裏垢でしていたのである。一方相手をしていた社会学者は丁寧でありました。すべて整合的でした。

一方で、懇切丁寧な説明にもかかわらず、やっぱりそれは無駄に終わっていたので、「相手にするだけ無駄」という僕の判断は肯定されて断絶は深まるわけです。