Drafts

@cm3 の草稿置場 / 少々Wikiっぽく使っているので中身は適宜追記修正されます。

「衆院調査局が10年11月に作成した資料」どこ

僕は基本的に選択的夫婦別姓に賛同だが、ツイッターで話題になってた記事が、ソースとして扱っている時事ドットコムの記事

衆院調査局が10年11月に作成した資料によると、日本の他に夫婦同姓を採用しているのは、慣習で同姓にしているジャマイカと、宗教や地域で制度が異なるインドのヒンドゥー教徒ぐらいだ。

という部分は2つの意味で危ないと思う。

1. 事実認識の方法として

1.1 ソースへの信頼

調査局作成資料で、「衆院調査局が10年11月に作成した資料」が見つけられない。メディアは自身が組織としての信頼性から典拠になり得ると信じている節があるが、もうそんな信頼性などとっくに崩れ去っていることを認識して、明かせるソースは積極的に明かすべきだ。取材源の秘匿と衝突して判断が困難なケースもあるだろうが、今回はそれには当たらないし、それとバランシングする職業倫理として検証可能なソースの提示を挙げられないだろうか。データジャーナリズムのような次世代のジャーナリズムがそれを担うかもしれない。え?明らかにしてるつもりだって?情報リソースの識別子警察が伺いますよ?

1.2 ソースの再検討

法制度と慣習をごっちゃにしている記述が良くわからない。「選択的」夫婦別姓については法制度での強制が問題点の一つになっているはずで、そうすれば法の扱いが異なる社会間を社会による強制性の観点から統一して議論したり、といったことが必要になる。また、日本でもとっととPACS(Pacte Civil de Solidarité)的な法を制定しろよ派の僕としては、そういう周辺環境も伴って議論しないといけないと思う。元資料はそれらをどう扱っているのかなど分からないと、時事ドットコムの資料解釈の正当性が判断できない。

2. 主張の根拠としての用いられ方において

今回の場合、まったく反対するに合理的な理由が出ているようには見えないので、国連の勧告などにも従うべきだと思うが、一般論として「先進国諸国がそうしているから」「国連がそう言っているから」という理由で流されることは手放しで称賛される態度ではない。一方で、そのような用いられ方が目立ち、保守派にそこを突かれたりして碌なことにならない。そのような非論理的な流れでしか世の中は変えられないという意見には一理あるけれど、1の論点で挙げたようなことを丁寧に考える人たちが必要だ。研究者がその役割まで担うのはコストを考えると非現実的なので、熟議民主主義の場の設計というありきたりでこれまた方法が未確立な話に落ち着いてしまうのだが。

参考: