Drafts

@cm3 の草稿置場 / 少々Wikiっぽく使っているので中身は適宜追記修正されます。

「博物館が特色を出す → 万人のためのものではなくなる → 来ない人のために何ができるか」という議論を耳にした時の違和感を言語化するために書き始めたメモ。

  • そもそも大学教育だって個々の分野を取れば直接万人のためのものではない(まあ、学部教育レベルくらいはオンライン無料で万人に提供されてていいと思うけど)
  • 宇宙際タイヒミュラー理論の解説がNHKで放映された際に、望月教授への取材について「宇宙際タイヒミュラー理論が今までの数学と何が違うのかを理解するには、高度な数学的知識が必要とされ、一般の視聴者どころか、一般の数学者でも理解困難ですので、取材はお断りさせて頂きます」(大意)という形で断られた件に対して「説明する責務がある」と、数回輪廻しても理解できなさそうな脳を晒しているtwitterアカウントが呟いているの見てマジvomitした
  • OAISが「指定コミュニティ」に引き継ぐという想定をするのも、どの空間、コミュニティを切り取ってもその知識が無いといけないなんて想定はただ無意味だからでしょう

NHKで放映されていた望月教授のメール

あたりが連想されて、博物館情報をオープンにすることだったり、それに基づく市民科学を推進すること自体は大賛成というかその旗を振らなきゃいけないくらいの立場の自覚はあるけど、その理路はちょっと危険だなと思った。「博物館が特色を出す → 万人のためのものではなくなる」の関係自体は重々意識しなきゃいけないことで、印象にのこったというのもあるんだけど、僕はこれをオープン化の理路にするのを意識的に避けなければと思った。つまり、

  • 特色というのが専門性ならば、それによって来なくなる人に対して、オープン化は処方箋になっていない。
  • 万人を対象にすることを志向することが、過度に求められること自体への危惧。

があった。ここで2つの問題が立つ。

  • 実際に活動として行われている博物館のオープン化は、どのような理路で、どのようなやり方で実施されるべきか
  • 博物館は、それぞれ、もしくは群として、万人のためのものであるべきか、そうでないとすれば、その存在価値は何に基礎づけられるか、それによってどのような範囲にどういう形で情報を届けなければならないか。

オープン化の理路として有名なものに NIHのポリシーの背景になった The Alliance for Taxpayer Access とかが使ってた「税金で運営してるんだから、その分還元されなきゃいけないでしょ」があって、これはこれで「お金払った人に特別に見せてあげる文化情報」みたいなのが跋扈する恐れみたいなのがあって、一理あるけど危なっかしいなぁと思ってる。アクセスの平等とか大事だよねみたいなのは、地域資料継承支援事業 - 基本方針 とかで出してる。

という形でも言及してたように、25条的な文脈で、情報市民権保障として設計するというのが他のやり方で、これは必ず必要だと思うんだけど、「ミニマム」「最低限度」をどのように測るか設定するかというのが難しい。最低限度を超えた範囲は経済に任すということになるんだけど、特に25条的立ち位置 vs 経済の関係については図書館がずっとその批判にさらされ答えてきているので(cf. 図書館の公共性批判への反論: ほどよい司書の日記 15年前くらいのブログ記事)まあ、それは参考になるかな。博物館の場合、基本的に一点物なので、財を通した民業との対立というより、公立 vs 私立の関係、入館料 vs 税金負担の関係が主になるという点で異なる。後者は本来無料な入館料を取ってる問題 (cf. 瀧端 真理子: 日本の博物館はなぜ無料でないのか?──博物館法制定時までの議論を中心に──)とも関連する。図書館での迷惑行為と入館禁止処分の件( 図書館での迷惑行為と入館禁止処分~岐阜地裁判決 : 長野第一法律事務所 ブログ《分野別/信州の記事》図書館利用禁止は「適法」、岐阜 大量借り出し巡り(共同通信) - Yahoo!ニュース)は判決が揺れたけど、「一部の利用者による不適切な負担を避ける」のも大事だと思う。結局この「適切」さが難しいんだけど。障碍者対応のコストはもちろんできるかぎり負うべきなんだけど、程度にもよるだろうし。ウェブ上なら、SPARQLエンドポイントはSPARQL書ける人だけがめっちゃ恩恵受けれる、キーボード打てる人は普通の検索窓で普通の検索はできる、3Dモデルは購入してください、云々、オープン化は情報市民権保障を中心として税金分の還元やより広いアクセス提供のために行われる。取りこぼしなく万人ってのは情報市民権保障から必要になるし、「一部の利用者による不適切な負担を避ける」のは税金分の還元から出てくる。

高等教育のマス化は私立セクターの増大によって達成された

from 小林雅之: 国私格差是正と私学政策

日本の高等教育は私的負担が重い

from 小林 雅之: 高等教育費負担の国際比較と日本の課題

国際比較したところで、イギリスが無料にしてるんは他国から収奪したものの展示の正当化みたいな側面もあるってのはそれはそうだし、こんだけ色々貧困になった国で先進国並みの文化政策をしようってのに無理があるというのもそれはそうだし、結局日本的な正当性ってのは私たち国民が決めるしかないのだけれど、昨今の政治状況を見るに、私たち国民が決める=ポピュリズム的に決定するということになってしまう。ここでポピュリズムを民主主義と区別して用いているのは あなたは「ポピュリズムと民主主義の違い」をひとことで説明できるか 安倍政権の問題とは何だったのか | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) あたりでも触れられている、分かりやすい敵を作ること、熟議を軽視し少数派を「無視」する多数決を民主主義と思っていること、あたりを念頭に置いている。国立博物館の常設展を無料化しない本当の理由は何ですか?... -... - Yahoo!知恵袋 の中で、「『文化行政が云々』と、能書きをタレるくらいなら、震災の被災地で、ボランティアでもすれば」とかまったくロジックとして成立していなくても、共感されてしまえば、通ってしまう。

「博物館は、それぞれ、もしくは群として、万人のためのものであるべきか、そうでないとすれば、その存在価値は何に基礎づけられるか」について、冒頭に話を戻すと、「博物館が特色を出す → それぞれは万人のためのものではなくなる」このこと自体がそもそも現在の政治状況の中で劣勢を宿命づけられてしまうからしゃーなしに「→ 来ない人"に存在意義を認めて頂く"ために個々が直接万人の為ではあり得ない博物館に何ができるか」を考えなければならないとすれば、そのために情報のオープン化とかはあまり答えになっていない(どうせそれを活用するのはほんの一部の人々だから)。そもそもに「特色を出す」こと自体はある種の専門性を提供することを考えれば所与に近い話だから、博物館群全体としてのバランスを論じる必要はあるにせよ、個々が万人のためではないことは問題にならないはずで、群全体としても取りこぼすような人々についての問題だけが「→ 来ない人"に存在意義を認めて頂く"ために個々が直接万人の為ではあり得ない博物館に何ができるか」において考えるべき対象だ。各館レベルでもそれなりの人々に理解可能なコンテンツを提供する努力をするのは前提で、その「理解可能性」にも限界があるし、また、他にも色んな側面があるので、常に万人のためのものではない。

活用ばかりに重点が行っているという反対討論 もあった新博物館法に関して答申は真っ当。

博物館法制度の今後の在り方について(答申)より

① 資料の収集・保存と文化の継承(「守り、受け継ぐ」)

博物館は、自然と人類に関する有形・無形の遺産を、関連する事項を含め て地域や社会から資料として収集し、損失のリスクから確実に守るととも に、調査研究によって資料の価値を高め、未来へと継承する。

② 資料の展示、情報の発信と文化の共有(「わかち合う」)

博物館は、資料を系統的に展示し、デジタル化し、来場者のみならず広く 情報を発信することにより、共感と共通理解を醸成するなど人びとと文化 を共有する。

③ 多世代への学びの提供(「育む」)

博物館は、生涯学習・社会教育の拠点として、多世代の人びとへの学びの 機会を提供し、現在と未来に生きる世代を育む。

④ 社会や地域の課題への対応(「つなぐ、向き合う」)

博物館は、幅広い文化芸術活動をはじめ、まちづくりや福祉、国際交流、 観光、産業、環境などの関連団体、関係者とつながりながら、社会や地域 における様々な課題に向き合い、解決に取り組むことにより、持続可能な 地球環境の維持、創造的で活力ある地域社会づくり、人びとの健康で心豊 かな生活に貢献する。

⑤ 専門的人材の確保、持続可能な活動と経営の改善向上(「営む」)

博物館は、博物館を取り巻く幅広い業務に従事する様々な専門的人材を確 保するとともに、物的、財源的な基盤を確保し、安定した経営を行うこと によって持続して公益の増進を図る。また、使命の達成をめざし、評価・ 検証することにより、その活動と経営を改善し、価値を最大化させる。

まあ、価値の基礎はここらへんで合意しておけばいいし、博物館群としてある程度万人を対象にって感じかな。これらは or じゃなくて and で、各館の認定条件の大枠になるって言ってるんだから、「来場者のみならず広く情報を発信する」「多世代の人びとへの学びの機会を提供し」あたりは対象をなるべく幅広くという意識があって、これは博物館群じゃなくて個々の博物館でも満たさなきゃいけないということになる。なんぴとも排除してはならない、広いに越したことはない、くらいは言えて、なんぴとでも利益を享受できるようにしろ、は言っちゃいけないというのが

  • 万人を対象にすることを志向することが、過度に求められること自体への危惧。

の具体化になる。税金分の還元からの「一部の利用者による不適切な負担を避ける」話や情報市民権保障を博物館群全体としてサステイナブルにするための制約というのが意識されなければならない。

あとは、この価値観から零れ落ちる、もしくは(能力的に?)あまりにそれを享受できない人々に存在意義を認めて頂く方法かぁ。具体的にいうと、「公金を入れないと成り立たないのは文化ではない」と言っちゃう橋下徹やその支持者とかに認めさせる方法かな。(cf. 橋下は、日本の文化を何と考えているのか。—文楽助成金削減問題 : あちたりこちたり)もちろん、「存在意義を認めて頂く」は十分多数であればポピュリズム的にも問題が無いので小さい勢力ならば無視すれば良い(というのが reflexive な logic な)のだけど、そのポピュリズム本家本元の勢力だよね。「伝統芸能クラシック音楽などの、いわゆるハイカルチャーに否定的な見解を示す一方、お笑い、ギャンブルやストリップなどの大衆文化を肯定的に評価する発言が多い。 」ってjawpに書かれてるけど、敵としての文化上流層みたいなのを設定しているという認識。ちなみに、個人的に、ギャンブルやストリップは僕も文化性を認めるんだけど、「お笑い」はマジで笑えたことないので、皆が認めるなら認めるけど…って感じです。一つは博物館鑑賞や図書館利用を初等教育に取り入れるというのはあって、欧米の博物館いくと常に小学生がツアーして学んでいるイメージがある。あとは代替医療とか「土偶を読む」問題と同じで、ルサンチマン問題だな。超人になればいい、なんて解決策でも何でもないので、「考え続けること」や「議論し続けること」に触れる機会を用意するしかないと思う。それが思考停止的な様式を持つポピュリズムへの処方箋にもなるんだろうから。

あと、そこからドロップアウトしたときに、闇落ちしない方法を用意すること。そのためにやさしくおしえてあげること。