Drafts

@cm3 の草稿置場 / 少々Wikiっぽく使っているので中身は適宜追記修正されます。

「質の低い批判意見」摂取の有害性

議論が雑な人を(特にTwitterで)みて、批判意識を募らせると逆張り系が育つ問題*1を避けましょうという話。たとえば、放射脳と揶揄されるような低レベルな反原発ツイートを目にしすぎて反・反原発になったり、クソフェミ見すぎてアンチ・フェミになったり、そういうのを避けましょうと。

そもそも、私の場合のこのタイプの現象の発生プロセスは、

  • 自分と興味範囲においては関連があるが視点が違う人の発言を定期的に摂取しよう

という感じでフォローしたものの、大した発見も提供されず、一方で自分の想定範囲内の反対意見ばかりを出されるために「ああ、こういう意見の人は、この程度の考えでそういう主張をしているんだなぁ」という嘲りが強くなる。その結果、「逆張り系」と言われてしまうような相手にとって不愉快な態度を形成してしまうという意味で相手にとっても有害だし、当初の目的とは逆に自分の考えを稚拙な形で強固にしてしまうという意味で自分にとっても有害。

そういう動機でフォローした相手については、相手の視点・情報・知に対する尊重が保てなくなればフォローを外した方がいいと思います。それは相手の知が浅いからかもしれないし、自分の受け取り方が雑なのかもしれないけれども*2、当初の目的からすると相性が悪かったことは確実なのです。

摂取をやめる理由

  • 自分の視方を広げるどころか、稚拙な形で強固にしてしまいます。
  • 反応時間が無駄です*3
  • その行為の快楽はタバコやお酒に近い。無意識に続けがちだ*4が、それは意義があるからではなく、脳の反応によるものかもしれない。
  • 相手にとっての自分も「質の低い批判意見」に見られている場合、お互いに断絶を深める*5
  • その断絶は、相手方への不必要な先入観を形成するため、コミュニケーションを阻害する。
  • たとえ、レベルの高い意見であっても、過剰な摂取はストレスや反論を考える時間の無駄を生むので過剰摂取は禁物。
  • ツイッターやブログというのは(エアリプでもない限り)あなた向けに書かれているのではなく、不特定多数に向けて書かれているのです。質の低い批判意見は、もっと質の低い批判対象に向けて書かれているのかもしれません。そして、発信者が有名人ならきっとあなた以外にも反論を述べている人はいますし、反論も賛同もされていない友人でも無い他人ならば関わる義理もありません。

摂取をやめる方法

  • 相手の視点・情報・知に対する尊重が保てなくなればフォローを外しましょう
  • フォローせずに非公開リストに入れるなどして、入ってくる量をコントロールしよう

「質の低い批判意見」の摂取意義

まったく摂取するなとは言いませんが、上級者向けなんじゃないかな。

  • 大抵の議論において、そこに積極的にコミットしている学者や活動家というのは氷山の一角なので、それ以外大半は氷山の水面下におり、氷山のふもとを見ることで全体像を推し量る手がかりになる。
  • 大抵の議論において、その氷山の一角の人々は、その議論空間に基づいて氷山の上下を認識し、なおかつ氷山の一角内だけをみている。そこから抜け出すのに、「質の低い批判意見」だと思っているものを丁寧に見直してみるというのは、役に立ちうる。

*1:本問題は非公開のブログで指摘されていたもの

*2:分かり易く「質の低い」という表現を使っていますが、後述のようにその質が低いかはあくまでどっかの観点に拠るので「」でくくってます

*3:お決まりの議論ならば、いちいち反応せずにブログとかにまとめて書き留めておくことで時間の無駄は省けるけれども

*4:スタンフォードの自分を変える教室」に「死亡事故を見たらロレックスが欲しくなる」って節があって、ストレスを引き起こす情報を見ると意志力が弱くなって快楽に負けるという話があったりします

*5:その状態から抜け出すには、少なくとも自分の視座を相対化して、丁寧に相手の視座に自分のものをマッピングしながらコミュニケーションを重ねて共同確認する必要があるが、そんなことをできる相手は稀有