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Drafts

@cm3 の草稿置場 / 少々Wikiっぽく使っているので中身は適宜追記修正されます。

下方比較の安堵

ここ一週間ほど、あることが出来ていなくて苦しんでいたのだけれど、もう一人同じ状況の人が居ると聞かされた時に、なおさら僕がなんとかしないと全体を取りまとめている人が大変になると思う、そのコンマ数秒前に自分が「ほっ」としたのが嫌だったのでどうしたら良いか考えてみた。

基本的には下方比較が効かない

上下は自分の価値観や世間の平均的価値観によるものしかないことは分かってるし、何事も下を見ても上を見てもいっぱいいるものなのだと分かっているので、日頃下方比較することはない、しても効力が無い。

自分の感情をコントロールするのは苦手

だいたい顔に出るからまず意図的な嘘はつけないし、人生一時期を除いて感動したら簡単に泣いてしまうような質だし、不快感もすぐに態度に出るらしい。小学生の時から自覚していたので、意識的に鍛えて、日常生活で不便がない程度にはある程度コントロールできるようになったつもりで忘れていたけれど、苦手だということ自体は再度自覚しておいたほうがいい。

罰されるからやめるってのは嫌い

例えば僕が法を遵守する動機は、それぞれの行為について法の背景にある治安の維持だとか、権利の保護だとかが直観で分かるしそれに同意しているからというのと、あと、法を守ること自体が法の実効力を高めると思っているから(=「悪法もまた法なり」にある程度同意している)。もちろん、デフォルトでは守る方を選択するが、破る積極的な理由があればリスクを取って破るだろう。とはいってもこれは姿勢だけであって、小中学校のような理不尽な環境下ならともかくも、大人になってから規律を積極的に破ったことは特には無いと思うけれど。

みんながやらないからやらないってのも嫌い

小中学校のような理不尽な環境下で破ったものといえば、授業中に他の参考書を読んだり、少年院に入るような「悪い」と言われている人とつるんだり、水筒に紅茶を淹れてきて嗜むとかそういう話であって、あとは英語の授業ではじめに歌が流されていたのにみんなが歌わないので僕一人で歌ったりとか、そういうのも同じ延長線上にある。「周りが、環境が、○○だから」というのに流されるのが嫌いなんだ。

みんなができないからできなくていい?

それこそ俺ができなきゃ。誰がやるの。

でもそれができたのは圧倒的に余裕があったから

その時期は、学力では当然のこと、スポーツテストでいくつもトップ取るくらいだったし、その割にモテないというコンプレックスを除いては、いろいろ余裕があったので、そういう姿勢を貫けた。つまり、気づかない程度に無理をしていたと言い換えることもできる。そういう余裕がない、むしろ能力的には平均以下という認識のある今、特にひどい精神状態にあると、下方比較がカッコ悪いなんて言ってる余裕が無い上に、下方比較が効いて安堵してしまってビックリしたんだ。

それでも嫌なもんは嫌だ

余裕を持つこと。能力的に余裕を持つには時間がかかるし、精一杯やってるんだから、数分の瞑想でコントロールするとか、すべてを投げ捨てて30分で回復する術を見つけるとか、うまく心をコントロールするすべを身につける努力も同時にするしかない。

参考: