Drafts

@cm3 の草稿置場 / 少々Wikiっぽく使っているので中身は適宜追記修正されます。

良い中間成果物

manaveeは意識高い系なのか ― 代表理事、花房孟胤の考えごと | manaveeの脳縮還元ブログより抜粋とコメント

花房:僕は、「意識高い系」とは「中間成果物をアウトプットする人」である、こう定義したらいいんじゃないかと思います。

起業も自己啓発もなんも、何かの目的のための手段なはずなのに、そこをえらく強調して、場合によっては成果が無いからみっともなく「意識高い系」と揶揄されるという考察。的を得ていると思う。

インタビュワー: SNSを辞めてみて何か変わったことってありましたか?

花房:お友達とは全く付き合わなくなりました。女性を気軽にデートにお誘いするのも難しくなってしまいました。でもね、幸福度は上がったんですよ。(中略)ガサツで遠慮のない世間の話題を遮断することで、繊細ですぐに消えてしまう本来の趣味関心を大切にしようとしているんです。僕の興味に合わせて勉強して、僕なりに考えることが、結果的には価値を生み出すことにつながると思っています。

Twitterで定期的に上がってくる炎上ネタとか、麻薬みたいなもんだと思う。「世の中の問題に関心を持ちましょう」「新聞読みましょう」とか言うけれど、結局問題解決につながるような言論も活動も産めずになにかを発信しようとするのって、テレビの前でニュースに文句言ってるおじさんと変わらない。何がダサいかって、自己満以上の何物でもないってとこ。


一方で中間成果物を共有するのが全体の発展に有効なのは、ソフトウェア開発におけるミドルウェアの寄与とかみてもそうだし、まあそもそも「目的」と「手段」は相対的なもので、別に起業が目的って言い切るならそれもアリなわけで、シリアルアントレプレナーとかは一種そういう人なのかもしれないと思う。

地域研究におけるデータベースとか中間成果物的立ち位置になりがちなものなので、「良い中間成果物の出し方」というのは意識したい。とりあえずデータベース作って満足、誰も使っていないっていうのは、まさに「情報化社会」という意識の高さを体現した、ダメな「意識高い系」「中間成果物」だと思う。

何が中間成果物の良し悪しを決めるかと言えば、もうそれはそれを「中間成果物」と呼んだ時点で明らかで、複数の成果物を効率的に生み出せるかどうかにかかっている。そして、1つ目の「最終成果」を中間成果物の生産者自身が出すしかないというのが、最近身辺での議論における合意である。Eating your own dog food


というわけで一周回って、やっぱり最終成果を意識することは大事です。