アメリカ最高裁が同性婚を認める その命令文が美しいと話題になった件で共感していたツイートをメモがてら貼っておく。冒頭2つが最もグっときてファボってたツイート。
一方で全部が全部俺と一緒の立場というわけでも無くて、「婚姻制度自体いるかというと別にいらないと思うけど(そしたら婚姻に関わる差別も自然と解消されるし)」というなみきさんの発言はあんまり同意しない。婚姻制度は十分偉大な発明であって、自分の生の価値をその中に見出した人も多いのだから無下に否定するもんじゃないと思う。むしろ「婚姻に関わる差別」なんかしてくる人はそういう人である可能性が高い。
個々の熱狂行為を下にあるような形で批判したら、それは抑圧だとか「この差別者め!」と言われるのはまあ仕方がない。それは誤解に基づくけれども、彼らの視点からそう見えることは多いだろう。その熱狂的な感情の中にいる人に誤解を解こうと説明することも経験的には無駄だ。説明を聞いてくれることはあるかもしれないけれども、そうでないことも多い。僕の場合は、感情に飲まれて説明に熱がこもり不理解の溝を深めて終わるだけだ。単に説明が下手なのかもしれない。
相手が理解力に優れた頭の良い人でも上手くコミュニケーションできないくらい想像以上にこの溝が深いことは最近分かってきたけれども、溝を埋める方法を知りたい。なんでかわからない。右翼と左翼とかもそうだし、宗教対立もそうだけれど、人間や社会のどういう仕組みがこの大きな溝を生み続けているのかのメカニズムがよく分からない。
同性婚に対する熱狂も道徳人間の怖さとコインの裏表の関係にあるような気がしてあまり同調できない
— Hiroshi Manabe (@takeda25) June 27, 2015
まあでも、この熱狂的な感じはついていけないけれど、男女間にしか婚姻が認められないのと同性間でも認められてるのとなら、後者のほうがいい社会だと思います。
— なみき (@namikirin) June 27, 2015
あと結婚が愛の最高の理想の体現だとか、人間をひとりでいるより偉大なものにするとか、ああいうのもちょっとついていけません。結婚しないと偉大になれないから同性愛者にもその権利をという話なのだろうか。独身者は不完全なのだろうか。
— なみき (@namikirin) June 27, 2015
道徳的な事柄が熱狂なんてもので決まるのなかなかに怖さがある。しかしそういうことでもないと変わりにくいにも確かだろう。
— hirokazu (@hirokazu1020) June 27, 2015
でもその熱狂がないと社会が変えられないの、そういう(非自閉症的)人間によって社会が構成されているからだよね
— Hiroshi Manabe (@takeda25) June 27, 2015
でも、こういうついていけない熱狂に取り憑かれてわーっとやってしまうひとたちが一定数いるから、社会はスムーズに変わるのかな(今回は比較的良い方向に、ときには悪い方向に)。私みたいなのがたくさんいても、反対者を押しのける強さはなさそうですから。
— なみき (@namikirin) June 27, 2015
そして、「素晴らしいことですね」と言わなければ「この差別者め!」とさえ言われかねないこの空気よ。
— わっしー 왓시 (@xhioe) June 27, 2015
熱狂的になることで怖いのは、フォビアのひとへの暴力的な言動がそれによって正当化されると勘違いするひとが出そうなことです。フォビアのひとは私も苦手ですけど、そういうひともひとりの人間ですから暴力的に出るのはよくないです。
— なみき (@namikirin) June 27, 2015
これはフェミ系の批判だけれど、婚姻に基づく核家族とは異なる形でケアやサポート、性的な親密性のネットワークを築いてきたクィアコミュニテイや/或いはPoCのコミュニテイからも、婚姻に基づく家族の(privatisedな)繋がりを最終的な理想形とした点で、判決文には批判が出てきている。
— SHIMIZU Akiko(清水晶子) (@akishmz) June 28, 2015