数年前にデモに対する批判の一言として、僕が「(問題解決に直接的に寄与していないんだから)イイことした気になるな」という言い方をしたことについて、まさにそれだという例を目にしたので提示しておく。
『Facebook』プロフィールをトリコロールにする前に考えたいこと(ふじいりょう) - 個人 - Yahoo!ニュース
という記事で、
「それぞれの善悪」が激突している中、フランス側へ「安全と平和を願う」という論理は、欧米側に立った主張であるということを踏まえ
て慎重さが求められるのではないかという意見が述べられている。もちろん、相対化した上で、「それぞれの善悪」というフレーズがもたらしがちな等しい重さの錘の載った天秤のようなイメージは乗り越えられなければならないと思うけれど、本題から逸れるので割愛する。
そして、この記事のコメント欄に、トリコロールアイコンによる以下の発言がある。
いらんいらん!うるさいうるさい!みんな何も考えてないよ!フランスの色にみんなしてるから私も!みたいな気持ちでしかしてないと思うし、そこにいちいちとやかくいわんでいいし、じゃあおまえは何をした? ウォーターチャレンジみたいな批判といっしょ。するほうはそんなに意味もなく流行りにのってしよるのが現実!ちゃんと意味を踏まえてしよる人もおるやろうけど、おまえみたいにただ批判するやつは何様?どうせなんもしてないくせに
この人も何にもしていない。したというのなら、何をしたのか。「それぞれの善悪」が激突している中で欧米側に立つ意志を示したというのなら分かるが、それなら怒る必要は無い。また、そういう構造無しに、ただ哀悼の表現の一つとしてその行為を選ぶことはかまわない。しかし、その行為の効果も意味も考えずにただ行動をした、その背後に透けて見える「俺は行動したんだぞ!」という自負に対して「イイことした気になるな」と思うわけです。
僕は今回のテロは許されないことだと思うけれども、トリコロールアイコンにした時にFacebook上のイスラム圏の友人たちがどのような感情を抱くかを想像すると、絶対にできない。多くのイスラム教徒は ISIL に関して人道的な面でも宗教的な面(つまりコーランの内容を正しく伝えるには組織されたイスラム学者による注釈が必要で、ISIL のそれは独自すぎるのだ)でも国際政治的な面でも批判的な目を向けているのも知っているけれど、トリコロールアイコンにするという行為はそういう区別に関する細かいことを伝えられない。