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Drafts

@cm3 の草稿置場 / 少々Wikiっぽく使っているので中身は適宜追記修正されます。

世の中(⊃大学)は発展途上

京大受験生のための京大退学エントリを流し読んでの感想。

初めに

エントリ執筆お疲れ様です。たぶん、こんな辺鄙なブログを執筆者が読むことは無いと思うけど、万が一を考えてはじめにいくつか記しておく。

  • 時間もないので適当にしか読んでません
  • 私は2年目に入ったばかりの新米教員(教育義務なしの研究職)です
  • 個人の問題以外はほぼ元のエントリとは関係のないブレスト的な書き方をしている
  • 基本的には「わかるわかる、俺と似てるなー」と思うので自戒を込めて書いてる(このフレーズは単なるエクスキューズにしかならないけれど)

執筆者個人の問題として:理不尽との付き合い方

ブクマコメントに leekprvt さんが書かれているように「100人に1人、自主ゼミまでやる熱心なやつがいた。97人は何の疑問も持たず単位を回収し卒業、就職。残りの2人が同じように大学に疑問を持ち大学を去った。97匹の豚と、3人のソクラテスがいたのだと思う。」というのに同意。大学改革は必要だけれど、多くの学生はなんとかやりくりして、くだらない授業中も内職で自習したりして、やり過ごす。本人は留年したことを以って不真面目だと書いているが、本質的には真面目で完璧主義で、不完全な環境下でそれを発揮することが留年から退学に至るまでの齟齬を生み出したのではないかと感じました。

途中で皮肉めいて「それとも「社会の理不尽さ」を教えるためにわざと開講してるんでしょうか?」と書いているけれども、大学も社会の一部だから理不尽さを内包しているだけです。不完全な環境下で、どういう目標を立て、どう達成するかが大事、結果が出せない者は評価されません(と教員1年目に先輩に言われた)。

その不完全な環境を変える努力も大事で尊重すべきことだけれど、大きなことを変えるのなら多大な努力が必要で、大学改革に一生を捧げるわけでもないのならば、もっと早くうまく逃げる、つまりさっさと豚になれば良かったんじゃないかと思う。

大きな問題1:教員の教育技術面での育成

長く学生をされていたせいか、教員側の視点も踏まえて書かれていて興味深かった。そう、よく言われるように、大学の教員は幼稚園~高校までと違って教育のプロではないことが大きな要因です。また、教育において優秀な教員が研究においてイマイチで、研究において優秀な教員が教育においてイマイチならば役割分担をすればよいのですが、教育がかなり優秀な人というのは大抵研究においても優秀なのです。つまり、研究と教育という2つの指標がリソースを食い合う状況にあります。

解決策の1つは、京都大学でも学習支援サービス(PandA)などが導入されていますが、コンピュータの援助を得て優秀な授業をスケールさせることです。枠組みとしてはMOOCSですね、オープンである必然性はありませんが、大人数にネットを介して授業をするためのノウハウはそこで蓄積されています。

しかし、この解決策だけでは問題が起こります。教育において優秀な教員が初めから優秀だったわけではなく成長してきたわけなので、いわゆる裾野を切ってしまうことによってサステナビリティが損なわれてしまいます。

そこでもう一つ補完的な解決策は、教員の教育面での養成を充実させることで、効率的に教育において優れた教員を育成することです。京都大学では「新任教員教育セミナー」などが開かれています。枠組みとしてはファカルティデベロップメント(FD)というやつで、そこを発展させていくことが望まれています。

現実は、知り合いの先生から紹介された非常勤講師や、飛び込みで依頼される講義(海外からプログラムでやってきた学生に対するセミナーなど)で経験を積まさせてもらっていますが、授業をするたびに、ああ、もう少し上手くできたらなぁと思うものです。

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大きな問題2:教養の習得とディシプリンの習熟

この退学エントリ読んで自由度が無いなと思った人は、東大に入った方がイイと思います(笑)。私事ですが、高3の9月にあるキッカケで理学部物理学科志望から工学部志望に転向した私は、初めから細分化された専攻に分かれる京大を見て、それは困ると思い、理一という形でざっくり取って教養前期課程を置いている東大に志望を変更しました。そして、3年での進学でも単位取得の自由度を最優先し、必要単位の1.5倍近い単位を全学部にわたる様々な講義で取得し学部を卒業しました。

でも、専門ディシプリンの習熟はそれに応じて遅れました。一つはやりたいことがハッキリしていなかったというのが大きいと思います。プログラム言語についてセミリンガルの話が出てきますが、学際ばかり渡り歩いた私にとってこのジレンマは大きな問題でしたし、それへの世の中の回答は、T型→Π型→オンデマンド型人材なんだと思います。

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from mlabforum2012_okanohara

エンジニアでいうと潜在的なフルスタックエンジニア(cf. 35歳定年説より怖いフルスタックエンジニアしか生残れない未来とは - paiza開発日誌

つまり、趣味的な教養ではなく、専門性の深化や有機的結合につながるような教養を大学で身につけろという話なのです。…とはいっても、その方法論が確立されておらず、ニーズのレベルばかり高くなるのですが。

社会における実践・学問におけるディシプリン・横断的教養 はそれぞれを身につけることで相乗効果を発揮するので、教養→ディシプリン→実践という順序が固定化された人材育成や、もしくはそれらを断絶させるL型・G型大学みたいな話ではなく、相互に行き来できるような環境が望ましいのではないかと思っている。

読んでみる:

さいごに

大きな問題1と2はステークホルダーだけど専門家ではないので私見しか述べられない(ので、1つずつ関連しそうな本を読むことにした)。こんな大きな問題に真面目に取り掛かるには、それにかかる労力がハンパないし、誰も現実的な理想状況さえ描けないわけです。だから、学生個人、教員個人としては基本的に「豚をかぶる」ような理不尽との付き合い方が必要とされる。その上で、できる範囲でソクラテスればいい(この文脈ではあまり適切なメタファーになってないけど、まあ分かるでしょう)。

補完するものとして、問題・知識の共有は多くの場合有効だと思う。学生仲間において学業の悩みを共有したり、授業の不明点を相談したり;教員仲間において授業のやり方を共有したり。