Drafts

@cm3 の草稿置場 / 少々Wikiっぽく使っているので中身は適宜追記修正されます。

flip out circuits: 「大学がビジネスでない簡単な証明」とは

訳は素晴らしいし、ブログ主ではなく元の発言者に対するケチだが、まったく大学はビジネスであることを前提とした考えになっている割に主張に都合のいい部分だけその前提を隠蔽しているあたりが哲学者としてどうなのよと思う。でも、こういう主張はこの人に限らず耳だこだ。

まず、収支に目を向けている時点でビジネス的な考え方だろう。最大限好意的に意味のある部分を読み取るとしたら「ビジネス的に成功している大学は基金が多いのだから、他の大学も短期的利益に捉われずに基金を増やすような施策を」というメッセージなんだろう。まあ、それでも経営アドバイスとして的外れに聞こえるのだが。基金は元を辿れば寄付金が多く、それが「教育・学術・科学の価値に貢献しているとみられているから」かどうかはさておいて(高額納税者の立場になって考えてみれば、ウォルマートに寄付しても納税免除にならないけれど、大学に寄付したら税の免除があったりするんじゃないか。アメリカの税制については詳しくないが、少なくとも日本だとそうだろう。税制も含めて?…じゃあ大学は「ビジネス」ではなくて「政治」だってことだね。)、基金は他の収入に比べ、大学による差が大きい。ハーバードが全米2位イェール大学に2倍近いスコアで優ってるのはハーバード大学 - Wikipediaに書いてあるが、収支はハーバード東大も、ほかの各大学も出しているんだからデータをまとめて分析すればいい。そこまで富める者がより富む類の財源であるために「基金を増やすような施策」というのは、ある程度以上のブランドを持った大学がブランディングに注力することや、基金をすでに多く持っている大学がその運用策を豊富に効率的にすることにしかならない。「教育・学術・科学の価値に貢献」とかいって、ニュースにもならない哲学研究に注力しても寄付金が増えることは見込めない。「教育・学術・科学の価値に貢献」が大事なんだから経営努力なんて大学人は気にしなくていいねという態度は、今そこに在る危機に目を背けてオレオレ理想論ぶちまけてるようにしか見えない。もちろん、みんながみんなそれを考える必要はないが、大学もビジネスだ、もっといえば「社会の一部だ」ということについて、都合よく認識しすぎじゃないかね。そんなんだから、いざというときに、政治的圧力への盲従という死か、資金難による研究の縮退という死か、みたいなクソみたいな選択肢が待ち受ける。

これは哲学等の意義を軽視しているのではない。そんな脆弱な主張をしているようでは大学における人文学の立場を守れないという危機感からメモしている。日本で、国からのお金、運営費交付金は年々減らされている。この不況下でいきなり寄付金文化が活性化することなど見込めないのだから、他の収入源を模索しなければならない。先日の飲み会で、それを口にした某に対する周りの無理解は甚だしかったぜ。某は某で、学問の長期的な価値についての話がどうかと思ったけれど。あと、学問を役に立たせること、そして、既に役に立っていることを見えるようにすることの双方が必要で、「文系学部廃止」の衝撃 (集英社新書)には特に後者の話、および、上で「ニュースにもならない…」と書いたようなメディアに帰せられる問題の部分が書かれていると思うので読んでみようと思う。