Drafts

@cm3 の草稿置場 / 少々Wikiっぽく使っているので中身は適宜追記修正されます。

「X教徒による宗教的迫害」とは

元ネタはノート:イスラーム教徒による宗教的迫害 - Wikipedia で、

イスラーム教徒による宗教的迫害という記事が何故問題かというと、次のように説明できます。 1. グループAが、グループBを迫害した。 2. X教徒のグループAが、グループBを迫害した。 3. X教徒が、グループBを迫害した。 このような記述を考えると、1から2への移行は、グループAがX教徒であることが検証できれば、問題ないと思えます。しかし、3への移行は、「X教徒」というものが、そもそも、グループAと同規模の均一性ある組織・団体の成員かという疑問があり、2→3は成立しないとするのが妥当と思います

という頭の悪い主張(∀と∃の区別がついていない)をみつけて、否定しておこうと思ったんだけど、まあ2007年の書き込みでほぼ無視されているのでWikipedia上で蒸し返すことはないかと思って、表題のように捉えなおして少しメモしておこうと思う(まあ、以下に書くことは概念分析あたりでは基礎事項だろうが、僕は説明が下手なので練習がてら)。

3が「すべてのX教徒」でなくてもいいのは自明だが(上の投稿者にとっては非自明だったようだが)、逆に2の「X教徒のグループAが、グループBを迫害した」事例全てにおいて「X教徒による宗教的迫害」と言えるのかどうかの criteria を考える。

一つ大きいのは、投稿者は無視しているが、タイトルが示している通り「宗教的」という文脈の存在だ。例えば、経済的締め付けを行うことはこれに該当しないのか、という問題がある。「X教徒による宗教的迫害」はX以外の宗教の教徒に行われると解されるのが日本語では普通のはず(つまり、X教X1派がX教X2派に迫害を行うことは含まれないし)。対象はY教徒だったり異教徒だったりするだろうが、経済的しめつけをY教徒にのみ行ったのなら、それは宗教的迫害になる。例えば当該稿に「ジズヤなどの税金が課せられた。」という記述がゾロアスター教徒への行為の一部として記載されている。「迫害が宗教的であること」は「迫害行為自体が被害者にとって宗教的な手段であること」を意味せず(P)「迫害の対象者のcriteriaが宗教的であること」を意味している(Q)(より正確には、Pは反例により確証され、Qは正例により支持された、だが、前述の通りこの議論はヘイトスピーチ関連等でよく見る話なので、Qも強く支持される。ジズヤは政治的経済的手段であり、少なくともゾロアスター教徒から見て手段として宗教的ではない、というのを前提しているが、イスラム側から見れば宗教的基礎づけがあるので、それでもって宗教的と考えるという手®もある。Qは必ずしも唯一性を持たない。ただし、イスラムは生活のすべてを支配する法であるので、イスラム教徒が行う行為は必然的に宗教的になるとも言え、イスラム側から宗教的基礎づけがあることを条件にするのは特にイスラムを対象にした場合はあまり良い criteria には思えない。)

難しいのは「迫害の対象者のcriteriaが宗教的であること」という概念レベルの話を、事実からどう推論するかということで、ここは前述の「よく見る話」にも多くの混乱がある。僕が何度も「そりゃ変だ」と言っているのは、「迫害の対象者のcriteriaが宗教的である」と解釈できる可能性が稀にでもあればその推論が成立するというやり方。量的推論での有意差が5%有意差はモデルとして差が無くても5%の確率で有意差が誤って出る(というか、それを差があると解釈することが誤っているのだが)という話なので、この読み解こうとしたら読み解けるということを解釈成立の条件にするのは非常に危ない。質的推論においてこれをどう説明したら納得されるのか分かってないが。あと、解釈者の多数派が…みたいに数に頼るのは、実際は色々問題を引き起こす(数の暴力とか、サイレントマジョリティ問題とかなんとか)(統計的に回数が多いこと自体は成立蓋然性を強めるので、それとの兼ね合いを考えねばならない)。あ、ミーティングの時間、とりあえずこれ以上は議論が必要なレベルなので、まあ「あたりまえだろクソが」という部分は書いた。