Drafts

@cm3 の草稿置場 / 少々Wikiっぽく使っているので中身は適宜追記修正されます。

What exists is REPRESENTATION

差延とSW

URI が一意にリソースを指すという語義と一貫した性質を持つ限り、URI の A に関して、A owl:sameAs A. というのは trivial で、全く論理的情報量を持たないが、一方でそれは valid である。

A owl:sameAs B は唯一名仮説でも非唯一名仮説でも常に情報量を持つ。それは、世界のすべてのモノが単一であるという仮説を取らない限り、A と B には異なる可能性があるから、その可能性を消すという意味で必ず情報量を持つからだ。そして、世界のすべてのモノが単一であるという仮説はすべての論理操作を無に帰すため使いどころがない。

「世界のすべてのモノが単一であるという仮説」を否定している点が差異の痕跡だというのはあまりに哲学的に構成された偽りの痕跡であり、「URI が一意にリソースを指す」という世界観こそがこの原・痕跡が示す痕跡だろう。

そもそもネットワークによって知識を表現するという考え方自体が差延の前史ともされるソシュールの世界観と符合する。

差延」の差延

なぜこのような至極当然のことが、高名な哲学者の発明した概念であるかのように喧伝されているかというと、それまでは構成的な認知の方が主流だったからだ。羽を持って、鳴き、飛び、たまに地面を歩く、それが「鳥」だとか;四足で、ワンワン吠えるのが犬だとか。そしてそういう認知は、飛ばない鳥ペンギンのような例外を以て崩され、それが推論側にデフォルト推論などの非単調論理の持ち込みを促す。そこらへんまでは、「うんうん、人間ってこういう知的処理をしているよねー」と内省的に納得できるものだったが、それでガンガンと知識を書いていくとふと立ち止まる。「…こんな複雑な事、考えてねーよ。犬は犬だ。俺には分かるんだ。」

そして言語論的転回をトレースする。「差延」がさも、いままで気づかなかったありがたい概念であるかのように思う。

再転回とモデリングの重要性

まぁ、まってくれ。それで構成的認知を無かったことにするのはただの宗教的転向だ。「「うんうん、人間ってこういう知的処理をしているよねー」と内省的に納得できるものだった」んじゃないか。学問のほとんどは現象を構成的にモデル化する。その活動を全部否定するおつもりですか。

というわけで概念を構成的に記述することも大事です。それでやっと人間が理解して、他のデザインに生かしたりすることができます。パースが指摘した帰納・演繹・アブダクションみたいな循環はそのための方法論なわけで、人工物のデザインにそれを応用したのが一般設計学なわけです。

実は人工知能にも2種類あって、機械学習のほとんどは、構成的にモデル化するより差異をモデル化します。それが機械学習ブラックボックスになるとよく言われる本当の意味です。だってパラメータとか全部わかるんだよ?何もブラックボックスじゃない。人間の理解様式はそれじゃない、それは人間の認知様式であって、機械は認知で理解してしまうから、そこに人間とのズレが生じる。理解できないから「ブラックボックス」とか言っちゃう。で、論理推論したりする人工知能見て、「本当の知能だ」とかよくわからない発言が出るのです。どっちも様式が違うだけで知能ですから。

という前提

これが、ユニバーサルな存在論記述(オントロジー)からあらゆる表現が導き出せるというナイーブな人たちに対する僕の「んなわけないでしょ」発言の背景の一つであり、逆にオントロジー不要論的な人に対する「ちょっとまってよ」発言の背景の一つです。僕は東さんの本は読んだけど直接デリダは一冊も読んでないし、別にこの説明に差延から入る必要性は0なんだけど、まあ思いついたまま説明を書いておく。

こんなもの論文には書けやしないし、でも誰かから批判される状態にはしておきたいのでブログに書くのが適切だろうと。