Drafts

@cm3 の草稿置場 / 少々Wikiっぽく使っているので中身は適宜追記修正されます。

ディープタギングそれ自体は知識共有を促進しないのでは?

これをリツったのは、


Hypothes.is Animated Intro

を見てアツくなったからだ。でも実際少し使ってみて、ううむ…となっている。

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要はディープタギングを志向しているのだ。左が元のページで、右に左の各ハイライトに対応するコメントが書かれていて、それぞれにURIがつけられている。ディープタギングの必要性を否定するつもりはないが、ディープタギングを今になって志向させる源泉となる動機とその具現化の形に危ういものを感じているのだ。

ティープタギングに関して、需要が高いのは動画コンテンツである。コンテンツと時間との関係が消費者側に委ねられるテキストドキュメントとは異なり、コンテンツと時間と密結合した音声や動画というものは、アノテーションシステムを要求する際に、時間位置が指定できることを強く要求する。そこで、ニコニコ動画前史を振り返ってみる。

ここに挙げられているニコニコ動画にない Synvie の目指したものというのが、「ディープタギングを今になって志向させる源泉となる動機」なのではないかと勘ぐっているわけだ。

ここでの「フォークソノミーが主目的なんだよ。」という主張のイタさとも通底している。

ものすごくざっくり言うと、「感情(だけ)ではなく、知識を共有したいのだ!」という動機。で、それを細かくものが言えるようにすることで実現しようとしている。

直接話を聞いた恩というわけでもないが、ここで Synvie を Dis るつもりはない。違う方向性の違うシステムとして価値がある模索だと思う。でも、ニコニコ動画について「ディープタギングのシステムなんだよ」と主張したら笑うだろう?はてブを「フォークソノミーが主目的なんだよ。」というのはそういう行為だし、上述の素敵な目的を掲げてHypothesisをリリースするのも似たような行為じゃないかと思っているのだ。なんで Social bookmark では不十分なのかということを記した hypothes.is 側の文書が出てくればもうすこし意図ははっきりするのだけれど。

そこで、この問題の解決の1つの方向性が、コンテンツ特化のスキーマを持ち込むことだ。動画一般、ウェブ一般を相手にすると「感情(だけ)ではなく、知識を共有したいのだ!」という欲望の解決策をデザインするのは至難の業だけれど、個々の動機 ― 論文の存在をコミュニティで共有したいだとかオープンピアレビューしたいだとか ― ならば方法がある。前者は先輩の2007年の論文SocioBiblog: Enabling Communication on Bibliography with Semantic Bloggingがたとえばそうだし、後者はF1000Research - An innovative open access publishing platform offering immediate publication and open peer review.なんかがあって、蔵川さんの紹介はとても参考になる。

そうやって、「バラバラに」「まとまって」しまったものを切り口を変えてまとめなおしたりすることを想定した時に、Linked Open Data のような技術が有用なのだ。それぞれはバラバラにまとめるしかないというのは、利用の文脈は「知識共有」なんていうマクロな文脈にはない、すでにそこにあるはずだということで、ビジネスエスノグラフィ(参考: ワークプレイス研究のエスノメソドロジー的展開 )あたりの知見を情報学側に還流させる必要があると思う(そういえば、エスノメソドロジーとデザインの協働 | Kyoto University Design Schoolは日程の都合が悪くて聞きに行けなかったので似たようなイベントあったら勧めてください)。

その他参考: