ぜんぜん考えがまとまらないが、そもそもデータジャーナリズムとは何か、なんで必要とされているか。実際にどういうことが行われているか、何だと言われているかをサーベイすると同時に要素分解的にも考えてみている砂場。
データジャーナリズムとは何か
あまり記事は発展していないが、
データジャーナリズム(英: Data journalism)は、調査報道の手法の1つである。大規模なデータの集合体をフィルタリングし解析することで、新たな解釈を作り出すことを目的としており、データ駆動型ジャーナリズム(英: Data driven journalism)とも言われる。 インターネット上で自由に得られるオープンデータを扱い、オープンソースとして公開されているツールで分析を行う。データジャーナリズムは様々な領域において新しい基準を見いだすことを目標としており、例えば、データジャーナリズムによる発見を通し、消費者・ビジネスマン・政治家・その他社会に関わる全ての人が、今まで知ることのできなかった物事の規則性を見つけたり、意思決定に役立てられることを目指している。このように、データジャーナリズムは、既存のジャーナリスト達が社会で適切な役割を果たすための切り札となる可能性を秘めている。
と書かれている。調査報道は、
あるテーマ、事件に対し、警察・検察や行政官庁、企業側からの情報によるリーク、広報、プレスリリースなどからだけの情報に頼らず(これを中心情報とする報道は発表報道)、取材する側が主体性と継続性を持って様々なソースから情報を積み上げていくことによって新事実を突き止めていこうとするタイプの報道。
Wikipediaではハーシュのソンミ村の件が代表例に挙がっていて、反権力的ではあるが、調査報道の代表例になるほど「調査」だったのか?と思ったが、「書きっ放しにせず、書かれた相手に報道内容(往々にして不祥事などデメリット)を事実だと認めさせる事」が重要視されていることからも、その調査の多面性よりも、権威からの情報を流す発表報道に対して、権威外からの情報によって報道を構成することを指しているだけかも知れない。発表報道の多さが問題視され、こういう概念化がなされていると思われる。
データジャーナリズムに戻ると、データは何らかの権威から出されたものであることが多いが、複数のデータによって相対化され、読者側に主体的に読み解かれるところが発表報道と対極的なので調査報道だと書かれているのだろうか。
- The Data Journalism Handbook これが一番まとまっているらしいので、読む。翻訳プロジェクトもあるが、Transifex に移行してから状況が分からないので、Data Journalism Handbook 日本語翻訳プロジェクト にjoinした。翻訳協力しようと思う。
- インフォグラフィック - Wikipediaでは「絵による意味表現」の話が主だが、インフォグラフィック - Google 画像検索を見ても分かるように、最近は「データの画像表現(レイアウト含む)」に関してよく使われる。
- データジャーナリズムは難しくないし、未来はすでにここにある | 新聞紙学的 幅広く紹介されている、後ほど再読。
- The Art and Science of Data-Driven Journalism - GitBook 上のブログのネタ元。
- Journalism in the Age of Data: A Video Report on Data Visualization by Geoff McGhee MOOCSも受けてみたい。
- 津田大介公式サイト | データジャーナリズム入門 これも幅広い。特に実例。
- データジャーナリズムの最新動向 2012/7時点。Data Journalism Awards とか書籍の紹介がされている。実例はこのDJAが参考になる。
ジャーナリズム概念の分解
データジャーナリズムを捉えるにあたって、そもそも今までのジャーナリズムとの違いを考えなければならない。そもそも、見た目的には新聞に昔から載ってるグラフとそんなに違いが分からないから。メディアがデータだというわけではない。表現の形式と基づく情報のフローが違う気がするが、そもそもジャーナリズム概念を分解してみないといけない気がする。アクターとして下のパターンを考えてみるとさらに要素を精査できそう。
- テレビと国民
- 新聞と国民
- インターネットと民
- 論文誌と研究者
参考:
報道 - Wikipedia 全体的に記事の質が低いし、ルーマンの解説の最後とかWikipedia的にはOK(ちゃんと書籍から引いてきている)がルーマン警察的にはNGだと思うけれど。
実例とツール
近隣概念との違い
たとえば、留学の有無で年収に差が出るのは単に親の収入や資産の差ではないか疑惑なんかはデータが公開されていればすぐに統計的消去で擬似相関を見抜きたいところだ。こういうことの可能性は、オープンサイエンスやオープンデータの文脈で語られる。
データジャーナルはデータジャーナリズムとは言葉の近さの割には殆ど関係なくて、前者はデータをその発表の価値と形式の中心に据える投稿論文の在り方。
そして、データジャーナリズムは、データの効果的な見せ方に力点が置かれているように見える。上の例のように知識ある人が受け取ったものを精査することよりも、受け取り手にデータの生っぽさが感じられつつ分かりやすい形で提供されるところに何か価値がある。普通のジャーナリズムでは、量的データや質的データが統合されて調理されて提供されるが、量的データを中心に、調理を最低限にして提供する。
効用としての違いはなんだろう?
サイエンス・アラート
サイエンス・アラートとは | Science Media Centre of Japan あるトピックについて、関係する科学者間で合意が取れている科学知識のコアをまとめてジャーナリストに伝えることで、科学とジャーナリズムの溝を埋める活動。実際は、ソーシャル・ネットワーク上の「友達」数と脳の関係について | Science Media Centre of Japan のように、ズレがある報道について当事者にインタビューしたものを掲載したりしていて、必ずしも決まった手続きで活動しているわけではない。
日本科学技術ジャーナリスト会議
ウェブサイトから会報がすべて読める。世界会議もあって、World Conference of Science Journalists の第一回(1992)は日本で行われている。医学ジャーナリスト協会のような分野ごとの団体もあるが、少なくとも医学ジャーナリスト協会の会報は医学ジャーナリズムについてではなく、医学の各トピックごとに各医者の見解を述べるような記事が多く、つまり、ジャーナリスト用医学雑誌であって、医学ジャーナリズムを考える雑誌ではない。まあ会員のニーズを考えればそれはそうか。シンポジウムは医学ジャーナリズムを考える内容もたまには含まれているようだ。
- サイエンスライター - Wikipedia サイエンスライターは英語では Science Journalists.
- 科学ジャーナリズム - Wikipedia
- サイエンスコミュニケーション - Wikipedia
- 通俗科学 - Wikipedia "新聞などの科学ジャーナリズムは最新の科学の発展に焦点をあわせるが、大衆科学は幅の広いテーマについて扱い、ジャーナリストだけでなく科学者自身によっても書かれる。"(メタに思ったこと:こういう風に関連の記事を集めてその関連を引用文脈解析でマトリックス化できないか)
- 日本におけるフリーランス科学ジャーナリストの実態に迫る
学術イベントのレポート
忙しくて色んなイベントに出席できていない。とりあえずイベントの存在だけ纏めておいて、なにか知識が共有できないか検討中。一時期いわゆる「tsudaる」& togetter がはやったし、メモとして有用ではあるけれど、そこからレポートにするまでは少し隔絶がある。