Drafts

@cm3 の草稿置場 / 少々Wikiっぽく使っているので中身は適宜追記修正されます。

図書館の機能拡張が当然だと思うのが傲慢なのではないか

図書館は格差解消に役立っているのか? / 片山ふみ・野口康人・岡部晋典 | SYNODOS -シノドス-を読んだ。

低資本階層に手段を提供し、それを活用してもらうことが図書館にとって大事であって、その量が高資本階層より相対的に多い必要などどこにもない。「マタイの原則」の打破が何度か言及されているが、敢えて攻撃的な言い方をすると、そういう相対的な下剋上を目指す手伝いが図書館の使命ではない。

参考文献にあげられている菅谷明子『未来をつくる図書館』では、図書館のパソコンなどを使ってほぼコストゼロでビジネスを行っている低資本階層の人の例が出てきた記憶があるが、そのビジネスは図書館の知識と設備で可能な形態のものだっただけで、低資本階層の人が「37signals」的に小さく事業を始めるために必要な設備は必ずしも図書館が扱うべきものとは限らない。FabLab のような工具を自由に使える環境が無償で市民に提供される工作館があったならば、それも役立つだろう。精神に病気を抱えた人の社会階層を上げるには、カウンセラーの助けが必要だろう。もちろん、件名標目のような情報がデータの世界で一つメタな役割を果たすのと同様に、それぞれの支援への入り口としての図書館の役割が重要視されることはよく分かる。でも、図書館の利用率なんかを重要な指標として用いてしまうと、それは違う気がする。

まず、低資本階層がどのように各種資本を蓄積しうるかを考えた上で、その中に図書館の役割を位置づけていくことによって適切に支援が可能になるだろう。「ホームレスに対して散髪や食事、血圧測定、職業カウンセリングなどのサービスを行う図書館」の存在は素晴らしいが、どの図書館もそんな機能を果たせるほどの余裕なんてない。結局、都市部の先進的な図書館がそういう試みをして賞賛を浴びたところで、社会全体として問題は解決されない。

支援への入り口を果たしうる立ち位置だからこそ連携が大事だと思う。

他余談

  • 結局そういう活動には金とか人とかいろんな資本が必要で、資本を調達するには民衆の意識を「調達」する必要がある。ネトウヨ生活保護叩きみたいな不寛容は、特にウヨでもサヨでもない一般的な老人とかにも観測される。そこにある虚像の不公平感のメカニズムを解明し、解消する手段の研究が必要。公共政策科学と社会心理学?この点で既存の社会運動は不公平感の増長にばかり寄与しているように見える。
  • 他の機能を担う人たちとの連携を念頭に置いたけれど、Wikipedia や nanapi みたいなものって図書館的な支援を行っている。そういう役割が被っているものとの連携も必要。図書館は「図書」の館ではなくて「知」の館なのだという自負の広がりは感じるし、国会図書館のような図書館はともかく(網羅性という重責があるので、むやみやたらに範囲を拡大できない)、元エントリのような課題意識の中からは「図書」にこだわらないというのは大事。そういう意味での図書館機能拡張論は賛成する。
  • ホームレス受け入れについて。まあ、上のような手続きを経ずに、いきなり不清潔なホームレスを積極的に受け入れて非難囂々浴びて、ホームレス支援の別の環境が必要だという議論に持って行くというのも世間的にはアリだろうが、身体的弱者である幼児への衛生面での配慮の欠如だとか、そこで同じ市民から非難の目を向けられるホームレスの方々が政治的な手段として使われてしまうことへの気遣いの無さとか、僕はとても賛成なんかできない。現状「発する匂いや寝るなどの行為が他の利用者への迷惑行為とされ、むしろ図書館から彼ら・彼女らを遠ざける傾向にある」こと自体は問題視の視点として適切でないと思う。
  • 弱者だから救え!は往々にして他の人たちを圧迫する。弱者救え。vulnerability に向かってよーいどん!しない。ゼロサムゲームをプレイしない。ゲームのルールを変えろ。