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Drafts

@cm3 の草稿置場 / 少々Wikiっぽく使っているので中身は適宜追記修正されます。

「この国に生まれて良かった」

牛丼屋で味噌汁を飲んでいて、幸せだなぁと思いながら、その幸せさの表現の一様式として「こんな美味しい味噌汁が安くで飲めるなんて、この国に生まれて良かったー」というフレーズを思い浮かべ、その感想に食べ物ナショナリズムだとツッコみが入ったらウザいよなぁと考えてしまった*1

一般的な「この国に生まれて良かったですか」という問いは、より正確には「この国の現状を、(他国と相対的に)肯定できますか」という問いであって、食べ物についても、「この国の食環境を、(他国と相対的に)肯定できますか」という問いで考えることができる。

ちなみに、「こんな美味しい味噌汁が安くで飲めるなんて、この国に生まれて良かったー」という発言について食環境全般の話をしていると考えるのは本来おかしい。単に目の前の味噌汁の話だ。そこでそれは牛丼福祉の一端なのだとか、その背後には安い給料がとか、どうでもいい。学生時代の居酒屋宴会は食文化という観点からはろくでもない環境だったと思うけれど、それは発言の中で想定されていない。あくまで、議論の俎上に乗せるなら、話の範疇を広げざるを得ないので、そういう翻訳が必要だということ。

そう翻訳せずに「この国に生まれて良かったですか」みたいな質問を文字通り捉えると何を聞かれているのか非常に戸惑う。端的に答えるとすれば「いいえ、そのような認識はしません」なのだが、そう答えると不満があるかのように捉えられるだろう。その問いに含まれる「この国の現状を、(他国と相対的に)肯定できますか」との差分を私にとって回答可能な問いの枠組みとして否定しているだけなんだけど。

たとえば、魂というものが存在すると仮定して、それがどの体に宿るかという選択が行われて、僕がこの体に入らなかったら他の魂が僕の体に入ったという世界観を仮定すると、「この国に生まれて良かったですか」はナショナリティに焦点を当てた魂と身体の相性問題を問われていることになるけど、なんか仮定だらけで、やはり答えに窮する。

中学校の時に、国語のディベートの題材で、「男か女かどっちに生まれた方が良いか」みたいな題を誰かが提案して、「それはディベートの題として意味を為さない」と反論してみたものの、なかなか周りに理解してもらえず苦労した覚えがあるがそれに似た当惑だ。

というわけで、牛丼屋の味噌汁って美味しいし、日本の食環境の良さの1つとして挙げてよいものだと思います。

*1:そんな人いねえよというのはその通り。目的が「無い」のか、(一貫した)目的が「見いだせない」のか の後半で述べていたことについて、Yがウザい感覚、もしくはTwitterでエアリプ一人ブレインストーミングのウザさについて考えていた