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Drafts

@cm3 の草稿置場 / 少々Wikiっぽく使っているので中身は適宜追記修正されます。

目的が「無い」のか、(一貫した)目的が「見いだせない」のか

ハーバーマスは3つのテロ区分を説明する中で9/11を含むグローバルテロリズムを明確な政治的目的がない、敢えて言えば複雑システムの脆弱性を白日の下に晒すくらいの目的の行動だと言っている(p.56 of Borradori, Giovanna - Philosophy in a Time of Terror Dialogues with Jürgen Habermas and Jacques Derrida 2004.pdf)

というコメントをしながら、メルッチが社会運動内の行為者やその志向の多様性を無視してるって形でハーバマスを批判してたのを思い出してた。僕にとっては SEALDs が持っている政治的目的(立憲主義に基づく政治の具体像は内部で共有されているように見いだせないが、安保法案の廃棄という目的はハッキリと見いだせる)と、目的の有無という点ではあんまり違いが見えない。(以降追記)が、それと「一貫してないけど個々に目的として捉えうる」と僕が想定していた、ISILの政治的目的の粒度が似たようなもんじゃないかという指摘を受けて、確かになぁ、と思った。そして、テロ研究の文脈では上のハーバマス的な捉え方は似たような形でもっと具体的に反論されているということでした。


(以下余談)

別の論点として「ある問題Xの解決という目的」だけを僕は対象に考えるけれど、「ある問題Xのある解決法が副次的に生じる問題Yを新しい問題として捉えてそこを(元の問題の代替解決案無しに)批判する」のは別途認められるべきじゃないかという指摘も受けて、その副次的なものをクリティカルに感じる人に対して「問題Xに取り組んでいない」ことに人員資源的な観点で苛立つのは勝手にしても、「Yは『副次的なのだから』問題として騒ぐならXの話を織り込め」とまで言うのは、Yが経緯として副次的であることが重要度としてXに劣ることを必ずしも含意しないので、その人たちの怒りを買うだけで一分の理も無いということは理解した。さらに別途、原発保持賛成 vs 反原発 にしろ安保の件にせよ、Yを指摘する人たちが元のXに興味なさすぎってパターンが多い=議論の中で問題意識がそもそも共有されてないことが多いのはやっぱ問題だと思うし、現実問題として残るXもWもVもYの話にすり替えるタイプの人たちは少なくともXとかの執行責任を負わせられないというのは、いくつかの野党の問題点だと思う(けれど一党優位政党制がその状況の鶏卵問題だと思うので僕はその優位政党には票を入れないのだけれど)。