Drafts

@cm3 の草稿置場 / 少々Wikiっぽく使っているので中身は適宜追記修正されます。

「主語が大きい」というレトリックの初出と私見

関連概念としては太宰メソッドがあって、

「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな」

世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、

「世間というのは、君じゃないか」

という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。

(それは世間が、ゆるさない)

(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)

(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)

(世間じゃない。あなたでしょう?)

(いまに世間から葬られる)

(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)

 汝は、汝個人のおそろしさ、怪奇、悪辣、古狸性、妖婆性を知れ! などと、さまざまの言葉が胸中に去来したのですが、自分は、ただ顔の汗をハンケチで拭いて、 「冷汗、冷汗」 と言って笑っただけでした。  けれども、その時以来、自分は、(世間とは個人じゃないか)という、思想めいたものを持つようになったのです。

という人間失格の一節があるのだけれど、「主語」という言葉を明確に使ったのは 2008年6月25日発売、週刊少年マガジン30号掲載 の『さよなら絶望先生』 144話「ククリなき命を」らしい。Google で引っかかる最も古いサイトは→【箱内】久米田康治が作った言葉コン』についてのコメント

「全員に聞いたわけでもないのに 我々都民は我慢の限界 とか!」

新銀行東京への税金投入などの問題で、インタビューを受けた都民がかってに都民全体を代表して言うなど。

といったように144話『ククリなき命を』 - 久米田康治ワールド Wikiサイトでコマごとに詳しく解説されている。

そこから1年間でも16件しかGoogleでヒットしないことから直後はそこまで流行したわけではなさそうで、最近グーンと伸びてきている。*1

"主語が大きい"|"主語がデカい" の検索結果(Google Trends では件数が少なすぎて無理って言われたので手動で集計)

それ以前 1 (英語の主語が長い場合の話をしているので関係がない)
2008 7
2009 9
2010 9
2011 6
2012 23
2013 26
2014 46
2015 84 (10/22 時点)

「世間が、ゆるさないからな」って言われて「…で?」っていう感覚の人間が一定数増えるまでの過渡期において、このレトリックによる批判は増え続けるだろう。

  • 「男は」「日本人は」というあからさまに主語が大きく、なおかつ根拠薄弱な発言は、どうみたって酒場の酔っ払いの発言程度のもの
  • そこに「ちがう!男は…」と同じく主語が大きい発言をぶつける人間はもう一人の酔っ払い
  • 「少なくとも私は違いますね」とぶつける人は、酔っ払いに素面で正論を言うとんちんかん

という程度の認識の人が増えれば、このレトリックはあまり使われなくなるだろう*2