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Drafts

@cm3 の草稿置場 / 少々Wikiっぽく使っているので中身は適宜追記修正されます。

学習塾の腐敗の被害者が被害者として後悔しないために。

学習塾の腐敗についてはてブが賑わっている。自分の子供に対しての参考にしようと、教育における過去の判断の良かったこと悪かったことに関する認識を母とすり合わせるために少し話してた際に、僕も衝撃の疑念を知った。それについての僕の意見と共に書き留めておこうと思う。

疑念

僕は中学受験で、関西の御三家と呼ばれる中高一貫校3校を受けてすべて落ちている。高校でそのうち2校を受けなおし、双方合格し、東大寺学園に通った。ここで話すのは、「その中学受験が実は受かっていたのに、塾と学校の結託によって他の生徒の合格にすり替えられたのではないか」という、まるで陰謀論のようなお話だ。母は9割くらいの確信を持っているらしい。

それの最も強い根拠になっているのは、当時担当をしていた先生方ではなく、元々家を訪問して僕を強く勧誘し塾に引き入れた20代の若いスタッフが、不合格発表の後、わざわざ僕の母に連絡をしてきて「本当に申し訳ない」という謝罪を繰り返し、母が「それは別に謝ってもらうことじゃないですから…」と返すと、「それでは私の気が済まないのです」と続け「受かる子が元から決まっているのです」「低学年から塾に通っている子を落とすことはできないのです」という謎の発言を続けたという話だ。もちろん、これらの発言はどうとでも解釈できる。でも、今回の不正告発の人みたいに正義感に駆られた若者の行動だったんじゃないかというのは、それなりにそれっぽい。ちなみに、僕は小5の後半から通いだしたが、周りはもっと前から通っている子ばかりだったし、そもそも僕の通塾の動機は中学受験ではなく、小学校の授業がつまらなさすぎるので、楽しい授業を求めて、だった。

もう一つは、テストの出来。東大寺は僕も算数の立体問題や社会の記述問題で大きなミスをした自覚があり、不合格通知が来た時にも「あー残念」と思った覚えがある。そして成績開示がなされるので、合格最低点と数点差で落ちていたということはとても納得がいった。あと2つに関しては、後で家で答え合わせをした際にも、合格がほぼ間違いないという結論に達していて、片方については「落ちたとしたら、最後に校訓を読み上げるだけの面接の際の、

  • 一、… 
  • 一、…

の一を『ひとつ』ではなく『いち!』って読み上げたことが原因だわw」って冗談を飛ばしてたほどの出来だったのだ。直前の模試ではどちらも余裕過ぎるくらいのA判定。

他にも担当していた先生の発言とかも母は引っかかったそうだが、私が正確に内容を記憶していないので割愛する。まあ、普通に落ちてた可能性は否めないが、母の疑念もそれなりに妥当な気はする。

その後

僕は結構落ち込んだそうで、自信回復のために塾や家庭教師の体験コースを受けてはパッと解ききって「つまらない」と言い、先生に難しい質問をするという禄でもないことを中学一年の時に繰り返したそうだ、少し記憶はある。ある塾に落ち着くまで、「塾荒らし」と同級生に揶揄される程で、模試だけ受けにいってその校舎での最高点をたたき出して「レベル低いからいいです」って断ったり、ネイティブ並みの講師が英語を教えていてレベルが高く気に入った塾でも、全く予習復習をせずに授業とテストだけ楽しんで受けていて「他の生徒に悪影響だから」と退塾させられたりしていた。母は、上の事件に対して無力だった罪悪感もあったので、「それで自信が回復するのなら」と黙ってその幼稚な行動を見守ってくれていたらしい。

かくして、高校では編入に成功し、大学に入学したくらいの時には振り返って、「やっぱ男子校3年で十分やわ、6年とか無理。授業は楽しかったけど、中学受験は落ちてよかったんじゃない?」って言っていたし、中学の時の友人は今でも交流が残っている良き友人が多いなど、非常に肯定的に捉えている。また、大学院以後は色々語れる挫折も増えたが、それまで、賢くて挫折も知らず…的な厭味に対して「でも、前日までゲームしたりしてて、中学受験はぜーんぶ落ちちゃったんですよ!」といういいネタになっていた。

見解

受験失敗の時点で母は疑念を父や僕に漏らすことなく、よく堪えてくれたなというのが今の見解である。そのお陰で、前述のとおり基本的に自力で立ち直った(非常に優秀で刺激的な授業をしてくれた家庭教師の先生の力も大きかった)。そして高校受験の合格を含め、徹頭徹尾ただ僕を信じてくれた。漢字検定で落ちた時に僕が「ありえん、満点かどうかが問題だというのに、不合格とか。」と言ったらすぐに漢字検定協会に確認の電話をしてくれて、結果、やはり合格だったということもあった。

父は裁判大好きで、最近も弁護士もつけずに図書館で色々法を調べて自分で高裁まで戦っていたが(すごい…)、学習塾にクレームを入れるなり裁判をしたりしても証拠不十分で勝てなかっただろうし、そういう風に持っていっていたら、ただ僕は自分を被害者と位置付けてしまって、前を向くのにより時間がかかっただろう。

まとめ

様々な塾の不正について、内部告発がなされて、それを手掛かりに外部が働きかけて変革することは倫理的に素晴らしいことだと思う。それは既存の腐敗した塾産業が淘汰されて、新興の事業が入る余地が増えるという意味で経済的にも素晴らしいことだと思う。僕の件でいえば、学校も成績開示をすることでそういう不正の疑念を払拭できるし、そういう変革の余地がある。そして、それらの変革に協力することは称賛に値する行為だと思う。

でも、当事者の生徒と親は、その塾を離れるにせよ境遇への恨みに拘泥せずに前を向いて欲しいし、親もそれを支援してあげるのがまず大切なんじゃないかと、自分の経験から思うわけです。「なんで、塾での状況を私にちゃんと報告しなかったの!たくさんお金をつぎ込んだのよ!!」ってのを子供にぶつけるようなことは、決して良い結果を生まないでしょう?

僕の場合は極端で、熱出して吐いていても塾に行ったほどに、小学校の授業に比してその塾の授業は刺激的で楽しかったし、結果オーライとなってしまった今では感謝しかない、なんて状態だ。この話に触れる機会があればこれからも、「中学受験はぜーんぶ落ちちゃったんですよ!」って笑うと思う。