Drafts

@cm3 の草稿置場 / 少々Wikiっぽく使っているので中身は適宜追記修正されます。

役に立つ人文科学

タイトルに「人文科学」と書いて早々だけれど、特に人文科学という枠にこだわりはないし、学問的な枠にこだわった時点でなかなか役に立たないと思う。国立大学の人文系学部・大学院、規模縮小へ転換 文科省が素案提示(1/2ページ) - 産経ニュース みたいなニュースが毎週のように駆け巡っていて、人文系だけでなく他の分野の学者も異議を唱えているが、そんなこと政府からしたら想定の範囲内だろう。

少子化が進むのだから、何らかの形で大学が淘汰縮小されなければならない。経済が縮小しているんだから、予算規模も縮小しなければいけない。そこで自律的に解決できない学界に政府が口出しするのはあながち的外れではない。科研費でもなんでも、内部の調整なんてほとんどなくて(する必然性すら感じてなくて)、俺が重要だ!俺に金くれ!をやってきた学界が、そのコントロール機能を政府側に委ねているのは明らか。

「地域に貢献する教育研究」「特色ある分野で世界的な教育研究」「世界で卓越した教育研究」 という分け方はどうやってでてきたのかあまりよく分かってないけれど、純粋に学問的なものと、社会の問題を解決する学際的な組織と、とかは分離があって調整があってもしかるべきだ。例えば、東大の本郷と柏が名目上そういう役割を担っていることになっている(因みに、学際は何も実社会の問題を解決するためだけに必要なアプローチではなく学問の根幹にかかわる、という態度で形成されているのが駒場だと思っている)。

大学が今のあり方じゃだめなんじゃないかってのは、古くから大学内からさえ声が上がっていたのに、十分に変えられなかった。変えたとしても大学政治に留まっていた。それが根本原因であるような気がしている。

で、結論を急ぐと、学問を学問らしく残すために矢面に立つ「役に立たせる組織」が必要で、その組織が社会への Contribution と学問への Attribution を明確にしながら*1繋ぐことで、今の社会の要請を満たせていない学界に対する政府や社会の不満と、政府や社会の無理解に対する学界の不満は幾何か解消されるだろうと思っている。今居る組織は、その立場になれるポテンシャルがあるとは思っている。しかし、上の新聞記事で揶揄されてる作文が多くてたまらんなぁ。。。*2

その「役に立たせる組織」に必要な機能は以下の通りだと思っている。

  • 学問における論文、データ、人といった資源の関連性を把握する、可視化する。(人に関して Orcid や researchmap 、論文に関して CiNii、研究に関して KAKEN DB、データに関しては datahub 的なものを別途新しく、といったシステム的想定)。も
  • マスメディアや政府の広報を通して社会のニーズもまとめあげる、可視化する。
  • それらを繋ぎ合わせる、学問内での齟齬について積集合を発信するなど調整をする(これは STSとかなり被るがもうちょっとシステム的想定。もちろん、STSがやってるみたいに「翻訳」できる人材の育成も重要)

ところで、この組織が政治的機能を持ってしまい兼ねないと問題視される、って危惧する人は多いだろう。特に人文社会系の学問の知見が活きるのは社会問題への提言になるが、そこでのまとめ方の恣意性とかね。でも、そこで問題視されるレベルではダメ。それでは学問に寄りすぎているというか、政治や社会に無理解すぎる。結局いつもどおり止揚とか言い始めるのかーって揶揄されそうっすな。でも、学問寄りになっても政治・社会よりになってもダメなんです。学問的には「自明」なことも説明する。説明でダメなら、ワークショップでもなんでもかまわない。繋ぐってのはそういうことです。

関連

そりゃかけてる部分はあるので、やらなきゃいけない。でも、システムもやればいい。

大学を金銭的に支えてるのは生徒なので、生徒が社会の要求を読んで「いい就職」のために人文系を軽視すれば「人気のない学部・学科が淘汰(とうた)されるのは仕方がない」と。「今回また文系の教育が打ち切られようとしているのは、この学校教育への市場原理の導入の論理的帰結です。」会社の人事は、冨山和彦の典型的な近視眼 - Draftsで述べたような近視眼的な視点をもっている(もしくは各年や数年スパンでの人事的成果を求める仕組みになっていれば、個々の人事の意思に関わらずシステマティックに近視眼になる)ことが多く、即戦力を求める。上ではこの生徒を介した圧力を全く書いていない。

僕も教養で身に着けた知識が今の情報学的な仕事に多分に生きているし、Yahoo!知恵袋に携わった岡本さんも「私が日本政治思想史をまなんでいなければ、例えば知恵袋は存在しなかったはず」とおっしゃってた。どう生きているかを発信していかないといけないね。

そして、大学は人文系が赤字でも、他の黒字を以って守らなきゃいけない、そこは企業や政府とは違うロジックで存在しなきゃいけない。システムが違うのだから。

これは協調フィルタリング vs 内容ベースのフィルタリングみたいな話で、競争を勝ち抜いてきた人の優秀さというものの方が、人の能力を個別に査定するよりも有効であることに由来した歪みなのかなと思っている。

関連2:"What Everyone Says About the Humanities" プロジェクト

人文情報学月報47号にNDLの菊池信彦さんの記事があって、

4HumanitiesがDH研究者ならではのものと言えるのが、現在推進中のプロジェクト“What Everyone Says About the Humanities”[5]である。これは、新聞や雑誌ブログ等において人文学がどのように語られているか、その言説を集めたコーパスを作成し、そのデータをテキスト分析の手法を用いて解析しようというものである。

と紹介されている。→“What Everyone Says About the Humanities” Research Project | 4Humanities

参考

  • 川上量生さん「残念ながら日本の教養の原点はジャンプ」:朝日新聞デジタル 教養としてシェークスピアを役に立てるには、その時代背景とか込みで理解しないとダメで効率が悪い。つまり、上記のような話をしたとしても、「効率」の問題が出てきてしまうという指摘。
  • 文部科学省の通知について | 日本語学会 科学技術=自然科学系の知(なんでここが=になるのかツッコみたいが)と人文社会科学系の知が対置されて後者の必要性を説いている。その必要性の問題ならば、すべては科学社会学の傘下に入ればいい。そこへの寄与が見込めないような言語学は不要と言われてもいいのだろうか。一方で、例えば、言語処理に対する言語学の寄与などは明らかであって、知識的にもまだまだ少ないが交流がある。「深いところで,人間というものへの認識の深化,人の自己実現そのものの追及に寄与している,と思っています」という曖昧さに逃げる必要は無いし、全体としていかにもな文章に辟易する。もちろん、こういう文章を書くことが大変なのは分かるが、日本語学会は理事会などでこの声明を承認したのだろうか…。
  • “即戦力だけ”は「産業界の求める人材とは対極」 経団連、国立大の文系学部見直しに声明 - ITmedia ニュース"大学・大学院では、学生がそれぞれ志す専門分野の知識を修得するとともに、留学をはじめとする様々な体験活動を通じて、文化や社会の多様性を理解することが重要である。また、地球的規模の課題を分野横断型の発想で解決できる人材が求められていることから、理工系専攻であっても、人文社会科学を含む幅広い分野の科目を学ぶことや、人文社会科学系専攻であっても、先端技術に深い関心を持ち、理数系の基礎的知識を身につけることも必要である" 素晴らしい声明だ(特に一つ前の日本語学会に比べて…)。しかし、この声明の内容では、本エントリにおいて指摘している学問の中での基礎-応用軸における前者の軽視は免れないので、やはりそこへのフォローは必要になるだろう。
  • 研究者識別子の重要性とORCIDアップデート あまり直関係のある話題ではないが、研究者が評価はされたくないが褒章はされたいと皮肉っぽく書かれていることに関して。もちろん、これは保守的な精神から来ている揶揄すべき部分もあるのだけれど、他システム(社会、政治)からの評価が、その対象の絶対的な価値を決めていると勘違いされがちなことに対する不満と読み替えると妥当だと思う。「役に立つ」というのもあくまで、「○○の」と対象が限定された文脈においてであって、最近の様々な問題(オリンピックエンブレムの問題は反知性主義か等)を含めて、「あなたたちにとっての価値が大事なのは認めましょう。でも、それが全てではないとも理解してください」という案件が増えている。

*1:8 vs 2 の法則じゃないけど、もちろん予期しない Contribution があるのも学問の素晴らしいところである。すべてが全てこの役に立たせる組織を通せというわけではない。

*2:"制約があると、おざなりの研究報告を書くようになり、独創的な研究は出てこないからである。"